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熊本地方裁判所八代支部 昭和47年(た)1号 決定 1976年4月30日

主文

本件再審請求を棄却する。

理由

(理由目次)

第一  本件再審請求の理由

一  確定判決の存在

二  証拠関係およびその立証の趣旨

(一) 警察官、検察官に対する自白調書の証拠能力を否定する事実(別件逮捕、違法な逮捕、勾留)について

(二) 警察官に対する自白調書の任意性を疑わしめる事実(不眠不休による心身の疲労時における取調等)について

(三) 自白の信用性を減殺させる事実について

1 犯行後の足どりについて

2 犯行の態様について

3 犯行の動機について

4 検察官、裁判官および裁判所に対する自白について

(四) 熊本県警鑑定結果回答書の証明力を弾劾する事実について

(五) 兇器について

(六) アリバイについて

三  結論

第二  当裁判所が取調べた証拠および記録等の取寄せ

第三  当裁判所の判断

一  本件再審に至るまでの経過

二  本件再審請求に対する判断

(一) 一般的判断

1 刑事訴訟法四四七条二項による同一理由に基づく再審請求の禁止

2 証拠の新規性

3 証拠の明白性

(二) 具体的判断

1 本件再審請求理由(一)(自白調書の証拠能力)について

(1) 刑事訴訟法四四七条二項該当の有無

(2) 証拠の新規性

(3) 証拠の明白性

(イ) 捜査の経過

(A) 別件窃盗事件による逮捕に至るまでの経過

(B) 別件窃盗事件による逮捕後の捜査状況

(C) 本件白福事件による逮捕後の捜査、身柄状況

(ロ) 別件窃盗事件の逮捕について

(A) 逮捕時間について

(B) 任意同行について

(C) 弁解録取手続について

(D) 逮捕の要件について

(E) 違法拘束について

(ハ) 本件白福事件の逮捕、勾留について

(A) 緊急逮捕手続書について

(B) 逮捕状請求時における資料について

(C) 別件窃盗事件の逮捕手続との関連について

(D) 事件送致手続について

(ニ) いわゆる別件逮捕について

(ホ) 自白調書の証拠能力

2 本件再審請求理由(二)(自白調書の任意性)について

(1) 刑事訴訟法四四七条二項該当の有無

(2) 証拠の新規性

(3) 証拠の明白性

3 本件再審請求理由(三)(自白調書の信憑性)について

(1) 犯行後の足どりについて

(イ) 刑事訴訟法四四七条二項該当の有無

(ロ) 証拠の新規性

(ハ) 証拠の明白性

(A) 国鉄湯前線願成寺踏切付近の地理的状況について

(B) 鉈を埋めた場所について

(C) ハッピ付着の血液の洗い落し場所と時間の不合理性について

(a) 場所の不合理性について

(b) 時間の不合理性について

(D) 逃走経路全体の不合理性について

(E) 荷物の隠匿場所の不合理性について

(2) 犯行の態様について

(イ) 矢田鑑定に基づく主張の刑事訴訟法四四七条二項該当の有無

(ロ) 矢田鑑定の新規性

(ハ) 矢田鑑定の明白性

(3) 犯行の動機について

(4) 検察官、裁判官および裁判所に対する自白

4 本件再審請求理由(四)(熊本県警鑑定回答の証明力の弾劾)について

(1) 証拠の新規性(特に船尾鑑定について)

(2) 証拠の明白性(右同)

5 本件再審請求理由(五)(兇器)について

6 本件再審請求理由(六)(アリバイ)について

(三) 結論

第一本件再審請求の理由

本件再審請求の理由は請求人作成の昭和四七年四月一七日付再審請求書、昭和五〇年八月一七日付意見書(同年九月一七日付訂正申立願、同年一〇月一一日付上申書を含む。)、同年一月一〇日付、同年一二月二四日付、昭和五一年一月六日付、同月二〇日付、同年三月二五日付各上申書、請求人の弁護人尾崎陞ほか六名作成の昭和四七年四月一七日付再審請求理由書、同弁護人ほか八名作成の同年九月一八日付、同弁護人ほか五名作成の昭和四八年一一月二七日付、同弁護人ほか九名作成の昭和四九年七月一二日付(二通)、同弁護人ほか七名作成の昭和五〇年三月一七日付各再審請求理由補充書、同弁護人ほか七名作成の同年一〇月一六日付および同年一一月一七日付各意見書、弁護人手代木進、同佐伯仁各作成の同日付意見陳述要旨書二通各記載のとおりであり、それぞれこれを引用するが、その要旨は次のとおりである。

一  確定判決の存在

請求人は、昭和二五年三月二三日熊本地方裁判所八代支部において住居侵入、強盗殺人、同未遂、窃盗の罪により死刑の有罪判決を受け、その後請求人から控訴、上告がなされた結果、右判決は昭和二六年一二月二五日最高裁判所において上告棄却の判決があり、確定するに至った。右第一審判決で認定された犯罪事実は別紙一の罪となるべき事実記載のとおりである(以下、単に「第一審」、「控訴審」、「上告審」というときは右事件のそれをいう。)。

二  証拠関係およびその立証の趣旨

しかしながら、請求人は右判決確定後、住居侵入、強盗殺人、同未遂事件(以下単に「白福事件」という。)について刑事訴訟法四三五条六号にいう無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見した。右あらたな証拠は別紙二の書証一覧表記載の各証拠(以下書証については同表の証拠番号に従い、例えば番号1については「第一号証」などと略称する。なお、書証については番号欄に丸印のあるものがあらたな証拠である。)、別紙三の証人一覧表記載の各証人および別紙四記載のラジオ放送録音テープ一本、熊本地方裁判所八代支部の昭和四八年一二月二五、二六日付各検証調書であり、各証拠の立証の趣旨は、各表の立証の趣旨欄記載のとおりであるが、右証拠により立証する事実の要旨は次のとおりである。

(一) 警察官、検察官に対する自白調書の証拠能力を否定する事実(別件逮捕、違法な逮捕、勾留)について

第一審判決は有罪を認定した証拠として請求人の警察官、検察官に対する自白調書を挙げているけれども請求人提出の第一ないし第一七号証、第一九ないし第二二号証、第三一、第四九、第六三、第六四、第九三号証、第一〇九ないし第一一一号証の各証拠、ならびに証人馬場止、同多良木利次、同福崎良夫および請求人免田榮により右各自白調書は請求人が別件の窃盗事件で逮捕され、引続いて本件白福事件で違法逮捕、勾留を受けている間に作成されたもので、その証拠能力がないことが明らかになった。

すなわち、当時の人吉市警察署警察官(以下、単に「警察官」という。)は、白福事件で請求人を逮捕するに先立ち、昭和二四年一月一三日午後九時三〇分、熊本県球磨郡一勝地村の伊藤イチ方において、請求人が昭和二三年一二月二〇日頃、同郡免田町の酒井方から玄米一俵を窃取したとの容疑(右窃盗事件(別紙一の罪となるべき事実記載の第二の事実)を以下単に「別件窃盗事件」という。)で請求人を緊急逮捕したが、当時右窃盗容疑で逮捕しうる証拠資料は全くなく、被疑事実も極めて軽微な玄米一俵の窃盗であり、逮捕の理由、必要性もないのに警察官において専ら本件白福事件の自白を得る意図のもとに右別件窃盗事件で請求人を逮捕し、拳銃を示しながら人吉市警察署に強制連行し、直ちに弁解録取書をとるなど逮捕に伴う手続を踏むことなく、白福事件について取調べたものであり、また別件窃盗事件について同月一五日午前一一時三〇分人吉区検察庁検察官に事件送致の手続がとられ、同日午前一一時五〇分同庁検察官においてこれが受理と同時に身柄釈放の措置をとったのに、そのまま同月一六日正午頃まで請求人の身柄を拘束し、更に同日午後二時、証拠資料がないのに白福事件の容疑で請求人を緊急逮捕し、逮捕状請求書に虚偽の証拠を記載して人吉簡易裁判所裁判官に逮捕状の請求をし、同日同裁判所裁判官から逮捕状の発付を受けたうえ緊急逮捕手続書には引致の日を同月一七日午後一時と虚偽の記載をし、請求人が右緊急逮捕により身体を拘束されたときから四八時間を越える同月一九日に熊本地方検察庁八代支部検察官に事件送致の手続をとり、同日勾留状の発付があったものであり、以上のような違法な別件逮捕、根拠のない身柄拘束或いは白福事件に関する違法な逮捕、これに基づく違法勾留中に請求人は警察官から白福事件について取調を受けて自白するに至ったものであって、右自白調書は警察官の違法行為によって収集されたものであり、刑事訴訟上の適正手続の要請からしても証拠能力がないものというべきである。

(二) 警察官に対する自白の任意性を疑わしめる事実(不眠不休による心身の疲労時における取調等)について

請求人提出の第六三、第六四、第六八、第七五、第八一、第八二号証の各証拠および証人馬場止、同多良木利次、同福崎良夫、同浦川清松ならびに請求人免田榮により、警察官は別件窃盗事件で請求人を逮捕した後、請求人から白福事件についての自供を得るために、請求人に対し連日不眠不休の状態で長時間にわたる取調を続け、同事件で再逮捕後は、請求人を床に踏倒したり、足蹴りにするなどの暴行を加えたものであり、請求人は知能が低いうえに右のような苛酷な取調による精神的圧迫と苦痛、疲労の結果、飲酒による酩酊と類似の心理状態になり、容易に警察官の誘導に迎合して自白をするに至ったことが明らかになった。右のような状況下における自白は虚偽が入り込む余地が大きく、その任意性は否定されるべきである。

(三) 自白の信用性を減殺させる事実について

自白の供述内容の信用性は、確実性のある物的証拠、供述証拠、および客観的事実との符合関係により判断されるべきもので、自白の供述内容がこれらと符合しなければ、その信用性は否定されねばならないところ、請求人提出の新証拠によれば第一審判決が有罪認定の証拠として挙げた請求人の警察官、検察官に対する自白調書には、捜査官が既に知っていた事実は詳細に組み込まれているが、犯行の動機、態様、犯行後の行動など犯人でなければ知り得ない事実については不自然かつ不合理な記載が多いばかりか、事実を体験した者の具体的迫真性を伴った説明がなく、自白内容と客観的状況との間に幾多の矛盾があることが明らかとなった。

1 犯行後の足どりについて

前記請求人の自白調書によれば請求人は犯行後、人吉市内から熊本県球磨郡免田町方面に向けて逃走し、途中方向を転じて再び人吉方面に向い、犯行の日の翌日午前九時三〇分頃、人吉市内の人吉城跡に戻ってきた旨記載されているが、請求人提出の第五九ないし第六二号証、第一〇三ないし第一〇五号証、(第一〇四号証は一ないし六三)、第一〇七号証の各証拠、ならびに録音テープ一本および熊本地方裁判所八代支部の昭和四八年一二月二五、二六日付各検証調書により、請求人の逃走し、歩行したという距離は三四キロメートルにも及び、このような夜間における長距離の歩行は厳寒、暗闇、疲労等により物理的に不可能であることが明らかとなり、また逃走経路とされている国鉄湯前線願成寺踏切付近から線路沿いに歩行して途中から県道に出た旨の記載についても右湯前線線路と県道との交差地点で県道上に登ることは不可能であり、右県道と交差する以前に県道に出ることはできるが、短絡路とはいえず、その道を通る合理性にも欠けているのであって、右逃走経路部分の記載は警察官の創作によるものと言わざるを得ないし、また逃走中に白福事件の兇器とされている鉈を埋めたとされた地点、および人吉城跡内の荷物を隠したとされる場所がいずれも特定できないこと、血痕の付着したハッピ等を洗ったとされる「六江川」なる川が存在せず、また右ハッピ等を洗ったという午前五時頃は暗夜であって、血痕の識別が不可能なうえ、当時の気温、時間からして衣類を河川の流水で洗うこと自体実行不能であることが明らかとなった。

2 犯行の態様について

前記請求人の自白調書には被害者白福角蔵(以下、単に「角蔵」という。)に対して最初に鉈で頭部を切りつけ、最後に刺身包丁の様なもので頸部を刺した旨の記載があり、第一審判決は犯行の態様について右自白調書のとおり認定し、第一審判決が証拠として挙げる世良完介の角蔵の死体についての昭和二四年一月二七日付鑑定書(第三四号証)は右自白の補強証拠としての意味をもつものと解されるが、今回あらたに発見された矢田昭一作成の昭和四九年八月二三日付、昭和五〇年六月一一日付各鑑定書(第一〇六、第一一三号証)、現場写真五葉(第八五号証)、証人矢田昭一により、角蔵は、最初に刺身包丁によって頸部に刺創を受け、次に前頭部、後頭部に割創を受けたもので、頸部の刺創は止めではないことが明らかとなった。したがって、前記請求人の自白調書中の犯行の態様部分の記載は虚偽のものというべく、前記世良完介の鑑定書の証明力も失われたということができる。

3 犯行の動機について

請求人の自白調書には、以前に白福家の前を通りかかったことがあり、その際に白福家の所在場所を知っていたので盗みに入った旨記載されているが、請求人提出の第五九ないし第六二号証、第八四号証および本件検証により本件犯行当時の白福家は人家の北限に位置し、その北方は畑地になっており、また当時白福家に通ずる道路は行き止まりであってその前を通りかかって見知るはずもなく、また同家は物盗りにねらわれる程、裕福な外観でもないことが明らかとなった。また前記矢田昭一の各鑑定書(第一〇六、第一一三号証)、白福イツ子の司法巡査に対する供述調書(第一一二号証)により、犯人は最初に刺身包丁で角蔵の頸部を刺し、その後に重量ある刃器で頭部割創を与え、一家四人を滅多斬りにし、手に付いた返り血を台所で洗い落して悠々と火鉢の傍らで煙草を一服した後入口の戸に錠をして床下から脱出して行ったことが明らかとなり、したがって、本件犯行は請求人が自白するような辻強盗変じての物盗り犯人による犯行ではなく怨恨者の計画的な犯行であることが明らかとなった。

4 検察官、裁判官および裁判所に対する自白について

請求人は警察官に対して自白した後、検察官および勾留質問の際の裁判官に対しても自白し、更に第一審の第一回公判期日の公判廷においても自白しているけれども、第七〇号証、第八一、第八二号証および請求人免田榮により請求人は低知能であって正常な判断力を有さず右自白は前記のような警察官の苛酷な取調べが心理的圧迫として残っており、請求人は当時警察官、検察官、弁護人、および裁判官を区別できるだけの知識がなく、請求人の弁護人が、第一審の第一回公判期日前の面会の際に請求人を犯人であるかのように遇したので、請求人は弁護人が自己を弁護してくれるものとも思えず、第一回公判期日においてこれまでの自白が虚偽である旨を反論する余裕も気力もなく、漫然警察官に対する自白を繰返したにすぎないものであることが明らかとなった。

以上のとおり、請求人提出の新証拠によれば請求人の自白調書には犯行後の足どりや犯行の動機をはじめ不自然不合理で客観的事実に合致しない部分が多いばかりでなく、検察官、裁判官に対する自白も警察官による取調べの心理的圧迫の影響を受けてその自白を繰返したにすぎないのであって、その信用性は否定されたものというべきである。

(四) 熊本県警鑑定結果回答書の証明力を弾劾する事実について

第一審判決は、国家地方警察熊本県警察本部警察隊長の鑑定結果回答書(第三二号証、以下、単に「熊本県警鑑定回答」という。)の「鉈、柄部において血痕あり、O型と判定する。」との記載と前記世良完介の昭和二四年一月二七日付鑑定書(第三四、第三五号証)の「白福角蔵、同トキエの血液型はO型である。兇器は鉈様の刃器と推定される。」との記載をもって請求人の所持していた鉈(以下、単に「本件鉈」という。)に被害者らと同型の血痕が付着していたと判断し、これを請求人の自白の補強証拠として本件鉈を本件白福事件の兇器であると認定したが、請求人提出の新証拠によれば右熊本県警鑑定回答は信頼性に欠け、証拠価値を有しないことが明らかとなった。

すなわち、東京高等裁判所の上田勝治に対する証人尋問調書謄本(第一〇二号証)、証人馬場止、同多良木利次、同福崎良夫により右熊本県警鑑定回答の鑑定資料とされた本件鉈の柄の血痕様のしみは米粒大ないし鉛筆の芯大の微量で、その検査実施時間は昭和二四年一月一八日午前九時過ぎから同日午後四時までの六ないし七時間であること、船尾忠孝作成の鑑定書(第九五号証)および証人矢田昭一により、右昭和二四年当時本件鉈の付着物を血痕と判定し、その血液型をO型と判定するには最低二四時間を要し、当時血液型検査については積極的にO型と判定しうる抗H凝集素が未だ使用されず、当時の吸収試験法において吸収操作における無反応をもってO型と判定していたから、有反応におけるA型、B型、AB型の判定ならば格別、O型の判定についてはその検査方法、所要時間検体量の多少等を考慮して慎重に判定すべきで、とくに吸収操作時間として最低一夜(一六ないし一七時間)をかけねばならないのに右熊本県警鑑定回答は検査時間が六ないし七時間にすぎず、必要な検査方法を省略したか、検査時間を短縮したかのいずれかであり、検体量の不足のため反応がなくO型と誤判された可能性が大であることなどが明らかとなり、したがって、右熊本県警鑑定回答が単に判定結果のみを記載して検査方法、その内容等の記載を全く欠き検査方法の公正が担保されていないことも併せ考慮すれば、右熊本県警鑑定回答の証明力は失われたということができる。

(五) 兇器について

前記のとおり、請求人の自白は任意性、信用性を欠いており、第一審判決挙示の本件鉈と被害者を結びつける証拠であった熊本県警鑑定回答が証明力を喪失し、また請求人が白福事件に使用したとされている前記刺身包丁についてこれが白福家から押収されたとする証拠もない以上、本件鉈及び右刺身包丁が白福事件の兇器であるという証拠は皆無に帰したものであるがなお次の各証拠により本件鉈と白福事件との関連がないこと明らかとなった。

すなわち、東京地方裁判所の樺山彪に対する証人尋問調書写し(第六七号証)により、白福事件被害者の創傷が本件鉈と同一形状により生起されたとしても本件鉈と同一形状の鉈は当時球磨地区に無数に存在していること、したがって、本件鉈が直ちに本件兇器であるとは断定できないこと、証人浦川清松により、当時警察官が請求人が白福事件の犯行の用に供したとして熊本県球磨郡一勝地村の伊藤イチ方から押収した本件鉈にはその刃先に「とび」といわれる突起部分がなく、第一審に提出された鉈の刃先には右「とび」の部分があったのであるから白福事件の兇器として押収された本件鉈と第一審において提出された鉈とは同一物ではないこと、証人福崎良夫により請求人の供述調書の作成にあたって本件鉈、および刺身包丁を請求人に示したことがないこと、前記刺身包丁が当時鑑識に廻され、血痕付着の状況、血液型の判定、指紋の検出等の措置をとったが、指紋が検出されたものの、請求人の指紋と一致するものは発見されず、血痕付着の有無についての鑑定結果は不明であったことなどの事実が明らかとなった。

(六) アリバイについて

請求人には、本件白福事件犯行当夜である昭和二三年一二月二九日夜から翌三〇日朝までの間、人吉市駒井田町所在の特殊飲食店「丸駒」(以下、単に「丸駒」という)に杉山文子(当時石村姓)の客として登楼宿泊していたアリバイがある。

請求人の昭和二三年の年末より翌二四年の年始にかけての宿泊先については同月二九日、三〇日の両日を除いて格別の争いがなく、昭和二三年の年末に「丸駒」に宿泊したことも右二九日か三〇日かの点を除いて争いがないところであり、したがって、請求人が二九日に「丸駒」に宿泊したとの事実の証明があればアリバイが成立することは勿論、三〇日に「丸駒」以外で宿泊したとの事実の証明があれば、二九日は当然「丸駒」に宿泊したこととなって、アリバイが成立することになるというべきところ、兼田ツタ子の司法巡査に対する昭和二四年七月九日付供述調書(第四六号証)により、請求人は昭和二三年一二月三〇日午後三時頃熊本県球磨郡一勝地村の兼田叉市方を訪れて、同日は同家に宿泊したことが明らかとなった。

また、その頃右兼田方に同居していた中村友治は第一審において証人として取調べを受け、「請求人は同日兼田方を訪れた。自分は翌日の三一日に下山して人吉に行き、帰途右一勝地村松谷の尾前スエノ(当時今村姓)方に立ち寄った。」旨証言しているが、東京地方裁判所の尾前スエノに対する証人尋問調書写し(第六五号証)により、右中村の証言のとおり、同人が同日、同女方に立ち寄ったことが明らかとなり、同裁判所の野田セツ子に対する証人尋問調書写し(第六六号証)により、昭和二三年の年末頃尾前スエノが一勝地村松谷に居住していたことが裏付けされるから、請求人は同月三〇日に兼田方に宿泊したことが明らかとなった。

次に、杉山文子は請求人の「丸駒」宿泊について当初、警察官に対して同月三〇日である旨を供述し、第一審の第二回公判期日における証人尋問においても同日である旨証言し、一方第一審における第五回公判期日における証人尋問の際には請求人が「丸駒」に宿泊したのは同月二九日である旨その証言をくつがえすに至ったが、証人益田美英、同杉山文子および宮崎市長作成の杉山文子戸籍簿謄本(第一一四号証)により、同女は当時一六才の若年であり、取調べにあたった司法巡査益田美英が八代市に居住していた同女の母と知合いであったことから、これを利用した右益田巡査の強要等により、やむなく請求人が同月三〇日に「丸駒」に宿泊した旨同巡査に供述し、第一審の第二回公判期日においても右供述を繰返したにすぎず、第一審の第五回公判期日における同女の証言が真実であることが明らかとなった。

さらに本件検証により自白調書にある請求人の足どりの信用性が否定され、徹夜の歩行後「丸駒」登楼の気力の起らないことが証明されたから、この点からも三〇日「丸駒」宿泊説は否定されるに至った。

三  結論

以上(一)ないし(六)の各証拠を個々に検討しこれと第一審判決で挙示された白福事件に関する証拠とを総合的に再評価してみると、第一審判決の右事件についての有罪の事実認定には少なくとも合理的疑いを生ぜしめ、またそれ以上に無罪の蓋然性が高まったものともいえるのであり、したがって、右各証拠は刑事訴訟法四三五条六号にいわゆる有罪の言渡を受けた者に対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したときに該当するから、請求人は同法四四八条一項により再審開始の決定を求める。

第二当裁判所が取調べた証拠および記録等の取寄せ

当裁判所は、請求人提出にかかる書証一覧表の各証拠および録音テープ一巻を取調べたほか、証人として馬場止、多良木利次、浦川清松、福崎良夫、矢田昭一、益田美英、杉山文子を、請求人として免田榮をそれぞれ尋問し、昭和四八年一二月二五日及び同月二六日旧白福家とその周辺状況および請求人の警察官に対する供述調書中の犯行後の逃走経路について検証をなし、熊本地方裁判所八代支部昭和二四年(り)第一一号、同支部(わ)第五号請求人に対する住居侵入、強盗殺人、同未遂、窃盗被告事件、同事件の控訴審である福岡高等裁判所昭和二五年(う)第一、一一〇号強盗殺人等被告事件、その上告審である最高裁判所昭和二六年(あ)第二、六七八号強盗殺人等被告事件の各記録、福岡高等裁判所昭和二七年(お)第三号、熊本地方裁判所八代支部昭和二八年(た)第一号、同支部昭和二九年(た)第二号、同支部昭和三六年(た)第一号、同支部昭和三九年(た)第一号(後に熊本地方裁判所に回付同庁昭和四〇年(た)第二号)請求人に対する強盗殺人等事件の確定判決に対する各再審事件記録(熊本地方裁判所八代支部昭和二八年(た)第一号事件についてはその即時抗告事件記録(福岡高等裁判所昭和二八年(く)第三四号事件)、同支部昭和三六年(た)第一号事件についてはその即時抗告事件記録(福岡高等裁判所昭和三九年(く)第九号事件)および特別抗告事件記録(最高裁判所昭和三九年(し)第三五号事件)を含む。)および右福岡高等裁判所昭和二五年(う)第一、一一〇号事、件最高裁判所昭和二六年(あ)第二、六七八号事件の各判決書謄本、各再審請求事件の決定書謄本並びに熊本地方裁判所八代支部昭和二九年(た)第二号事件についての即時抗告、特別抗告事件の各決定書謄本を取寄せた。

第三当裁判所の判断

一  本件再審請求に至るまでの経過

右各記録及び各判決書、決定書の謄本によると、

(一) 請求人は、昭和二五年三月二三日熊本地方裁判所八代支部において住居侵入、強盗殺人、同未遂、窃盗の罪により死刑の有罪判決を受け、これに対し福岡高等裁判所に控訴の申立をしたが、昭和二六年三月一九日控訴棄却の判決を受け、さらに最高裁判所に上告の申立をしたけれども、昭和二六年一二月二五日同裁判所において上告棄却の判決があって確定したこと、

(二) 右確定した第一審の有罪判決が認定した犯罪事実は別紙一の第一審認定の罪となるべき事実のとおりであること、

(三) 右確定有罪判決に関してはこれまで五回にわたり請求人から再審請求がなされており、

(1) 昭和二七年六月一〇日請求人から福岡高等裁判所に昭和二六年三月一九日同裁判所がなした控訴棄却の確定判決に対し再審請求(第一回)がなされたが、昭和二八年一月二四日同裁判所で右再審請求は不適法であるとして棄却決定がなされて確定し、

(2) 同年二月一一日請求人から当裁判所に前記確定有罪判決に対し再審請求(第二回)がなされたが、同年七月二二日当裁判所で右再審請求は不適法であるとして棄却決定がなされ、その頃福岡高等裁判所でその即時抗告が棄却されて確定し、

(3) 昭和二九年五月一八日請求人から当裁判所に前記確定有罪判決に対し再審請求(第三回)がなされ、同裁判所は昭和三一年八月一〇日再審を開始する旨の決定をしたが、同月一六日検察官から即時抗告の申立があり、昭和三四年四月一五日福岡高等裁判所で「右決定を取消す。再審請求を棄却する。」旨の決定がなされ、昭和三六年一二月六日最高裁判所でその特別抗告が棄却されて確定し(以下、右再審事件を単に「第三回再審」という。)、

(4) 同月一六日請求人から当裁判所に前記確定有罪判決に対し再審請求(第四回)がなされたが、昭和三九年三月二六日同裁判所で右再審請求は理由がないとして棄却決定がなされ、昭和三九年五月四日福岡高等裁判所でその即時抗告が棄却され、同年七月七日最高裁判所でその特別抗告が棄却されて確定し(以下、右再審事件を単に「第四回再審」という。)、

(5) 同年一〇月三〇日請求人から当裁判所に右確定有罪判決に対し再審請求(第五回)がなされたが、右再審請求事件は熊本地方裁判所に回付され、昭和四一年一〇月一四日同裁判所で右再審請求は理由がないとして棄却決定がなされ、昭和四一年一二月一九日福岡高等裁判所でその即時抗告が棄却され、昭和四二年一月二〇日最高裁判所でその特別抗告が棄却されて確定したことが認められる。

二  本件再審請求に対する判断

(一) 一般的判断

以下、請求人の提出する証拠について、その主張に従い具体的に順次判断するが、本件の判断に必要な限度において、まず刑事訴訟法四四七条二項の法意及び証拠の新規性と明白性の問題について考察する。

1 刑事訴訟法四四七条二項による同一理由に基づく再審請求の禁止

刑事訴訟法四四七条二項は、再審の請求が理由がないものとして棄却の決定があったときは何人も同一の理由によっては、さらに再審の請求をすることができない旨規定しているが、その法意は裁判所が実質的に判断を示して再審理由には該当しないとした具体的証拠およびそれに基づく具体的事実について、再審請求棄却決定の確定力を認めようとするものであって、再審棄却決定の際に判断資料とならなかった別個の証拠により前再審と同一の事実の主張をした場合には判断の異なることも考えられるところであり、前記の確定力はこのような場合までには及ばないと解するのが相当である。

2 証拠の新規性

刑事訴訟法四三五条六号にいう「あらた」な証拠(以下、単に「証拠の新規性」ともいう。)とは証拠の発見が「あらた」なことをいい、その証拠が原判決以前に存在すると、その以後に発生したとを問わないものと解すべきであるが、以下この点について補足する。

(1) 「あらた」にと言いうるためには、裁判所にとってのみならず、再審請求権者にとってもあらたに発見されたものでなければならず、したがって再審請求権者が原訴訟手続の過程において、当該証拠を提出するにつき、法律上又は事実上格別の障害がなかったのに、その存在、内容を十分に認識予見しながら提出しなかった場合はこれを新規性のある証拠として許容すべきではない。

(2) 証拠の新規性は証拠方法があらたという点からのみではなく、証拠資料としてあらたという点からも考慮されなければならない。刑事訴訟法四三五条六号は確定判決で認定された事実と異なった事実を認定するに足りる証拠をあらたに発見したことをもって再審事由としている以上、右証拠もそれによって証明さるべき事実との関係において新規性が決定されるべきであるからである。

(3) したがって、証拠方法としてはあらたに収集された場合でも必ずしも証拠をあらたに発見したときにあたるといえない場合がある。原審において証人として供述した内容と同一趣旨の事項が記載してある供述書等は証拠資料の点から新規性がないものというべきである。

(4) 再審において問題となる証拠が鑑定人の鑑定の場合であって、すでに原審において同一趣旨の鑑定が存する場合は、鑑定の性質から専ら証拠資料としての鑑定内容を「あらた」な証拠か否かの基準とすべく、その鑑定内容が前の鑑定と結論を異にするか、または結論が同旨であっても鑑定の方法や鑑定に用いた基礎資料が異なるなど、証拠資料としての意義内容が異なるときは証拠の新規性を認めるべきである。

(5) あらたな証拠は主要事実または間接事実を証明すべきものに限らず、広く補助事実をも証明すべき証拠を含むものと解せられるから、原判決の事実認定の基礎となった重要な証拠の証明力を減殺することにより右事実認定を変動させ、ひいては無罪の判決を言い渡すべき場合などにあたる証拠をあらたに発見した場合は、右証拠も新規性のある証拠というべきであり、原審において排斥された証拠に証明力を増強させ、右のような場合に至る場合も同様である。

3 証拠の明白性

刑事訴訟法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」(以下「明白性」ともいう。)とは確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべく、右明白性の判断は新証拠と他の既存の全証拠を総合的に評価して判断すべきである。

(二) 具体的判断

1 本件再審請求理由(一)(自白調書の証拠能力)について

(1) 刑事訴訟法四四七条二項該当の有無

請求人は、別件窃盗事件についての逮捕とそれに続く白福事件についての逮捕勾留は違法であり、右違法逮捕、勾留中になされた本件自白調書は当然に証拠能力がない旨主張するけれども、違法な逮捕、勾留の手続中になされた自白はその違法性の程度によっては直ちに証拠能力を失う場合もあり得ようが、手続が違法であるとの一事をもって直ちに証拠能力なしとすることはできず、ただ、逮捕勾留手続に違法があることは任意性を疑わせる一資料となるものと解せられるから、この点に関する請求人の主張は、本件自白の任意性を疑わしめる事実の主張を含むともいうべきところ、請求人の自白の任意性の有無については、前記第四回再審において、本件自白調書には任意性がないことが明らかとなったとの事実の主張をし、他の事由とともに再審の申立がなされたが、この点については当時提出された証拠では未だ確定判決を覆すべき明らかな証拠とするに足らない旨の判断がなされて棄却決定が確定しており、また当審において請求人が新証拠として提出している捜査関係書証の一部はすでに第三回再審において取寄せがなされていることは、前掲関係記録及び決定書の謄本から窺い知ることができるが、なお上記記録等によると、右第四回再審で請求人が証拠を提出して主張していたのは、請求人は拷問、脅迫により自白を強要され、若しくは留置場に帰されることなく徹夜で取調べを受けて睡眠不足となり一時的な苦痛を逃れるため虚偽の自白をしたものというのであり、本件再審における事実の主張は、逮捕勾留の違法性が請求人の自白調書の任意性に影響を与えたとの具体的事実の主張であって、前記第四回再審時の主張とは、自白調書の任意性を同様に争っているとはいえ、その前提となる具体的事実を全く異にしており、また前記捜査関係の書証については当該第三回再審時において、その実質的判断を受けていないところであるから、前記(一)、1において説示した刑事訴訟法四四七条二項の法意に照らすと、右捜査関係の書証をもって本件再審請求理由(一)の事実の主張をなすことについては右条項にいう再審請求禁止の同一の理由に該当しないものというべきである。

(2) 証拠の新規性

(イ) まず、第一一ないし第一五号証、第三一、第九三号証は第一審においてすでに取調べずみの証拠であり、第七、第八、第一七号証はいずれも第一審記録に添付してある身柄関係の書類であり、その証拠の性質からしても証拠の新規性はない。

(ロ) 次に第四九号証は熊本地方検察庁八代支部から最高検察庁公判事務課にあてられた電信文であり、身柄関係の明確化のため、原訴訟手続の上告審の段階で記録に添付されたものであるけれども、原訴訟手続においてこれを提出することには障害があったというべきであり、証拠としての新規性を有すると解すべきである。

(ハ) 第一ないし第六号証、第九、第一〇号証、第一六号証は請求人の逮捕、勾留および事件送致に関する書類であり、原訴訟手続の段階では顕出されておらず、通常の身柄関係等の書類とはいえ、請求人にとって原審当時その存在、内容を認識していたともいえないから証拠としての新規性を有すると解すべきである。

(ニ) その他第一九ないし第二二号証、第一一〇、第一一一号証は原訴訟手続の段階では提出されておらず、またその内容を認識、予見していたということもできず、第六三、第六四、第一〇九号証および当審における馬場止、多良木利次、福崎良夫の各証人尋問調書中の再審理由(一)に関する供述記載は、右再審理由の立証趣旨との関連においては、前記(一)、2の(2)の趣旨から証拠としての新規性を有すると解すべきである。

(3) 証拠の明白性

そこで次に右各新規性を有する証拠について明白性を有する証拠であるか否かについて、既存の関係証拠とも総合して判断する。

(イ) 捜査の経過

第一ないし第二七号証、第三〇、第三一、第四九、第六三、第六四、第九三、第一〇九ないし第一一一号証の各証拠、第一審記録中の酒井喜代治作成の盗難届及び同犬童清作作成の盗難始末書、第一審における福崎良夫に対する証人尋問調書、第一審における第六回公判調書中の証人益田美英の供述部分、同第八回公判調書中の証人多良木利次、同馬場止、同上田勝治の各供述部分、第三回再審取寄記録中の溝辺ウキエ、村上文子、村上キクエ(二通)の司法巡査に対する各供述調書、同山並政吉の司法警察員に対する供述調書、第三回再審記録中の受命裁判官西辻孝吉、同森永龍彦の益田美英、馬場止、木村善次に対する各証人尋問調書、当審における馬場止、多良木利次、浦川清松、福崎良夫、益田美英に対する各証人尋問調書、請求人の裁判官に対する昭和二四年一月一九日付陳述調書を総合すると、請求人に対する別件窃盗事件および白福事件の捜査の経過、身柄拘束状況は大略次のとおり認められる。

(A) 別件窃盗事件による逮捕に至るまでの経過

昭和二四年一月二日八代郡宮地村に居住する村上キクエから同村の駐在所に対し「元日に男が尋ねて来たが、同人は昭和二三年の年末に人吉市内の特殊飲食店「丸駒」で働いている娘文子の客として登楼したと言っており、刑事と名乗っているが、挙動が不審である。」旨の通報があり、同駐在所の警察官が右村上方付近を聞き込み捜査したところ、右村上方に赴いて来た男は、右村上方の近所でも白福事件の犯人が賍品を売却しているとしてその捜査に来たと述べていたことが判明した。そこで同月六日頃所轄八代市警察署の刑事部長木村善次が再び右村上方付近を聞き込み捜査し、同女からも事情聴取したところ、同女方を訪ねた男は白福事件についての手配の犯人に服装、人相、体格、年令等がよく似ており、白福事件当時人吉市内に居たことが窺われたので右白福事件の犯人が自己の不安な心理を隠し切れず刑事を名乗ったのではないかと疑いを抱き、更に右村上の話を手掛りに右の男が稼働したことのあると聞き込んだ前記宮地村の大石組なる所で尋ねたところ、右村上方を訪れたのは熊本県球磨郡免田町に居住していた請求人であることが判明した。

木村刑事部長は宮地方面で自転車の窃盗事件があり、請求人の犯行ではないかと疑念を抱き、その捜査のためもあって同月一二日頃人吉方面に赴き、右免田町の請求人方、免田町警察署、人吉市内等で請求人の日頃の素行など捜査したところ、請求人はその近辺で発生した玄米の窃盗事件で取調べを受けたことがあったこと、人吉市内の旅館「孔雀荘」で稼働している溝辺ウキエが白福事件の犯行当日である昭和二三年一二月二九日の夕方、国鉄免田駅から人吉駅まで請求人と汽車で同道し、その際借金の返済方を請求したところ、同人は一部しか返済しなかったこと、さほど金銭の余裕がないとみられるのに請求人は翌三〇日には人吉市内の特殊飲食店「丸駒」(以下、単に「丸駒」という。)に登楼して金銭を費消しその間のアリバイが不明であり、昭和二四年一月六、七日頃からは熊本県球磨郡一勝地村那良口の山奥に赴いていることなどを聞き込み、請求人についての前記情報とあわせて、請求人に対し白福事件の犯人との疑いを深め、同月一二日頃、同刑事部長は人吉市警察署に赴いて、係官に捜査状況を通報した。

人吉市警察署では同刑事部長の情報に基づいてさらに捜査し、請求人の白福事件前後の動向等を検討し、請求人が白福事件の犯人であるとの嫌疑を抱き、同月一三日夕刻、右木村刑事部長のほか人吉市警察署の係官四名は自動車で同署を出発し、午後七時頃前記那良口に到着後歩行して山道を登り午後九時過ぎ頃右一勝地村俣口の伊藤イチ方に至った。請求人は当時寝床に入り、右伊藤の子供と雑談していたので、警察官二名が室内に入り、年末に人吉を訪れたことはないかと尋ねたところ、請求人は前年の一二月二六日頃山に登って来て以来一度も人吉に出たことはないとこれを否定したので、警察官らは請求人の供述が前記溝辺らの供述と全くくい違っていることから請求人に対する嫌疑を深め、請求人に対して人吉市警察署まで同行を求め、同人をとりかこむようにして山道を下り前記那良口から自動車に乗り、昭和二四年一月一四日午前二時頃人吉市警察署に到着した。

同署到着後、同署警察官(以下「警察官」という場合は同署のそれを指す。)は請求人に対し、昭和二三年末の動向について尋問したところ、請求人は警察官の予期しなかった前記免田町警察署が捜査していた別件窃盗事件および球磨郡免田町の犬童清作方での籾等の窃盗事件(別紙一の罪となるべき事実記載の第一の事実)を自白したので、警察官は別件窃盗事件についての盗難届を確認して右事件で請求人を緊急逮捕し、逮捕状請求書には昭和二四年一月一三日午後九時三〇分に前記球磨郡一勝地村字那良口の伊藤イチ方で逮捕した旨記載し、同月一四日午前三時に人吉簡易裁判所に対して逮捕状を請求し、同裁判所裁判官から逮捕状が発付された。

警察官は同月一四日午後三時三〇分に別件窃盗事件について請求人の弁解録取書を作成した。

(B) 別件窃盗事件による逮捕後の捜査状況

警察官は免田町警察署に対して別件窃盗事件についての被害者酒井喜代治から提出されている盗難届の送付を求め、翌一五日右盗難届の送付を受け、また前記犬童方からの七俵分の籾の窃盗については警察官が同人方に赴き、盗難始末書を作成させてこれを受理し、同日請求人の右各窃盗事件についての自白調書一通を作成して起訴猶予相当の意見を付し、同日午前一一時三〇分人吉区検察庁検察官に事件送致の手続をとり、同検察庁では同日午前一一時五〇分これを受理した。

一方警察官は同月一四日から請求人に対して昭和二三年一二月二九日前記「孔雀荘」を出た後の請求人の行動について尋問したが請求人は同日夜は山並政吉方に泊った旨弁解したので裏付け捜査がなされたところ、右山並方宿泊は同月三一日であることが判明した。また請求人は前記「丸駒」の登楼について警察官に追及されるや素見だけで登楼しなかった旨弁解し、「孔雀荘」を出たあと人吉市中学校通りの方に向い、近くの家から絣等を盗んで免田町の古物商に売却した旨供述したので右被害にかかる家屋の内部状況の図面を作成させたところ、家の外観、内部の家具の位置など白福家によく似ており、右窃盗事件についての供述が虚偽のものであったこととあわせて請求人に対する嫌疑を深めた。

請求人は右別件窃盗事件逮捕中に白福事件についての犯行を認め、兇器は斧で高原(地名)の滑走路付近に埋めた旨自白したので警察官らが二度にわたって同付近を捜索したが斧を発見することができず、請求人はその後、右自白を翻した。

昭和二四年一月一六日午前中より警察官によって請求人の白福事件当夜のアリバイについて再度裏付け捜査がなされ、昭和二三年一二月二九日夕方、請求人と免田町から人吉市まで同道したことやその時の請求人の服装等について溝辺ウキエの司法巡査に対する供述調書、翌三〇日の「丸駒」の宿泊状況について村上文子の司法巡査に対する供述調書、翌三一日の宿泊状況について山並政吉の司法警察員に対する供述調書が右一月一六日付でそれぞれ作成された。

(C) 本件白福事件による逮捕後の捜査、身柄状況

警察官は同月一六日正午頃請求人を別件窃盗事件については釈放したが、前記再捜査により白福事件については請求人の犯行と断定し、同日午後二時人吉市内で白福事件の嫌疑により請求人を緊急逮捕し、同日午後五時人吉簡易裁判所に逮捕状の請求をし、同裁判所裁判官から逮捕状が発付された。

右再逮捕後同日夕刻から警察官馬場止が請求人を尋問していたところ、請求人は白福事件について自白し、兇器が鉈であって前記伊藤方に置いてあること、侵入口は雨戸で、逃走したのは裏戸口からであることなど犯行状況、および逃走経路について供述したので警察官福崎良夫において引続いて弁解録取書を作成するとともに同月一六日付の自白調書一通を作成した。警察官は右自供に基づき、同月一七日人吉簡易裁判所に対し、前記伊藤方他について犯行に使用した鉈、着用していたマフラー等の捜索差押状の発付を請求してその発付を受け、翌一七日鉈、マフラーズボン等を押収し、裏付け捜査をし、同日付で請求人の犯行の状況について詳細な自白調書一通を、同月一八日犯行時の状況について同日付自白調書一通を作成し、同日関係証拠とともに右白福事件を身柄付で熊本地方検察庁八代支部検察官に事件送致した。

翌一九日検察官は同日付自白調書一通を作成し、同日熊本地方裁判所八代支部裁判官に対して勾留請求し、勾留質問がなされ、その際請求人は同支部裁判官に対し白福事件についての犯行を全面的に認め、同日勾留状が発付された。

(ロ) 別件窃盗事件の逮捕について

(A) 逮捕時間について

まず右別件窃盗事件の逮捕手続についてみるに、前記認定のように警察官は請求人の自白により昭和二四年一月一三日午後九時三〇分に前記伊藤方で請求人を逮捕した旨を同事件の逮捕状請求書(第二号証)に記載して逮捕状の発付を受けているけれども緊急逮捕の要件が生じたのは人吉市警察署に同行後請求人が右事件を自白してからであるから、右逮捕状記載は誤りであるというほかはないが、逮捕の時間を後にずらせてそれだけ警察におけるいわゆる手持時間を実質的に増やすというのでもなく、かえって時間を前にずらすことによりそれだけ手持時間が減るような記載をしたことについてはその意図も測り難く、他に特段の事情の窺えない本件においては当審における多良木利次、福崎良夫の各証人尋問調書の記載のように、当時は新刑事訴訟法(昭和二三年七月一〇日法律第一三一号)が昭和二四年一月一日から施行されて二週間足らずの時期であり、このため手続的事務処理に不慣れな点がかなり多かったことに基因したものと推論するほかはなく、右のような記載の誤りをもって逮捕行為全体が直ちに違法性を帯びるということはできない。

(B) 任意同行について

次に右のように解した場合においても前記伊藤方から人吉市警察署まで請求人を同行した行為が実質的に逮捕と同視しうるものであればその同行行為は法的根拠を欠く違法な身柄拘束というべきであるから、ひいては右逮捕の適法性にも影響を与えるものということができるところ、請求人主張のように右同行の際に警察官において拳銃や手綻を使用した事実や請求人が明示的にこれに拒絶の態度を示し、またはこれに有形力を行使した事実は認められないけれども、警察官が同行を求めた際請求人は床に就いていたのであり、同行の時間は深夜二時頃まで及び、うち二時間は警察官五名とともにいつでも捕捉される状況のもとに山道を歩行しているのであって、同行を求めた時間、場所、看視状況などを考え合わせると右同行は実質的には逮捕と同視しうる点も窺え、この点において適法性に疑問があるものといわなければならない。

(C) 弁解録取手続について

つぎに前記認定事実によれば請求人の弁解録取書(第四号証)は逮捕後約一三時間経過した同月一四日午後三時三〇分に作成されているところ、他に刑事訴訟法二〇三条一項に規定する手続がなされたことを証明する証拠も存しないので、請求人に対する刑事訴訟法二〇三条一項に規定する手続は右弁解録取書作成時になされたものと認められ、したがって、請求人に対する弁解録取手続は逮捕後直ちになされなかったというべきであって、右法条の規定に反するものといわなければならない。

(D) 逮捕の要件について

なお、請求人は、別件窃盗は被害品が玄米一俵という軽微なものでありその証拠関係からしても緊急逮捕の要件を欠くうえ右逮捕は本件たる白福事件捜査のための違法な別件逮捕であると主張するが、この点については後記説示のとおり理由がない。

(E) 違法拘束について

また、請求人は別件窃盗事件について事件送致書(第五号証)では同月一五日午前一一時五〇分人吉区検察庁検察官が事件受理した後請求人の身柄を釈放したと記載されて釈放手続がとられているのに実際は翌一六日正午まで違法に請求人の身柄を拘束して白福事件の捜査に利用したと主張し、請求人が右事件送致書記載の日時に釈放されていないことは前記認定のとおりである。

ところで野田英男の東京高等裁判所における証人尋問調書謄本(第一〇一号証)によると、右事件送致書に右のような記載をし、これに押印したのは人吉区検察庁の当時の検察官事務取扱検察事務官であることが認められるが、右記載欄はその文書の趣旨、様式からしても元来司法警察員が記入すべきところであり、当審における福崎良夫の証人尋問調書によると、右日時に検察官から釈放指揮がされたということもなく、捜査関係書類全般にわたって書類の取寄せをした第三回再審記録中にもこれが釈放指揮書は存しないうえ、右第一〇一号証によると、請求人が当時白福事件の有力容疑者であることを当時人吉区検察庁においても十分了知していたものであること、右釈放の記載日時が検察庁における事件受理の当日であることなどを総合し、実際請求人はほぼ検察官の手持時間たる二四時間後に釈放されていること等に照らすと、右事件送致書の記載をもって検察官において請求人を同月一五日に釈放する手続をとったものと認めることはできない。

(ハ) 本件白福事件についての逮捕、勾留について

(A) 緊急逮捕手続書について

まず請求人の、警察官は昭和二四年一月一六日付緊急逮捕手続書(第六号証)に証拠資料、引致の年月日など虚偽の記載をして右同日逮捕状の発付を受け、検察庁への事件送致を遅らせた旨の事実の主張についてみるに、成程、同手続書には証拠資料として兇器たる鉈、絆天等押収された衣類が掲載され、引致の日が同月一七日午後一時である旨の記載があるけれども、前記したとおり、右鉈等の捜索差押は請求人の同月一六日の自白に基づいて翌一七日なされたものであって逮捕状請求当時右鉈等は未だ押収されておらず、同月一六日には証拠資料としてこれらを手続書に記載できるはずがないが、当時は前記のとおり新刑事訴訟法施行直後であって警察官において逮捕の手続処理にも現在のような明確な処理基準が定っておらず、当審における多良木利次の証人尋問調書、前記逮捕手続書の体裁に後記のとおり逮捕状請求当時右逮捕事実を犯したと疑うに足りる証拠書類があったのにこれを右逮捕手続書に記載せず単に証拠物のみを挙げていることなどを総合すると、当時逮捕手続書に掲げるべき証拠資料は証拠物であり、しかも右手続書は必ずしも逮捕状請求時に作成すべきことが要求されるものではないとの理解のもとに右手続書は証拠物を押収した後に作成し、またそのような慣行であったことを窺い知ることができ、また、引致の日時については右手続書作成の経緯、逮捕状(第八号証)の記載内容、当審における馬場止、多良木利次、福崎良夫の各証人尋問調書に照らし同月一六日午後二時三〇分を誤記したものということができるのであって、いずれにしても、右事実のみをもってしては直ちに本件逮捕状請求手続が違法であるとはいえない。

(B) 逮捕状請求時における資料について

次に請求人は白福事件の逮捕時には証拠資料は全くなかったと主張するが、前掲各証拠に前記認定にかかる請求人逮捕に至るまでの捜査状況ならびに同月一六日付逮捕状請求書(第七号証)によれば、逮捕時における証拠資料として、被疑者の服装、人相、体格等を供述内容とする白福事件被害者らの供述調書および請求人の白福事件当夜のアリバイを否定する参考人の供述ないし調書があり、これらによって、警察官は請求人の当時の服装、人相、体格、年令が被害者らの供述に合致していること、前記「丸駒」、村上方における請求人の不審な行動を認定し、さらに別件窃盗事件にみられるように深夜徘徊し、盗癖があるとみられること、昭和二三年一二月中は再三人吉市に赴き、同月二九日には免田の実家を出て人吉市に赴き、前記「孔雀荘」をたずね、或いは「丸駒」に登楼し、山並方に泊るなどしているのに前記伊藤方ではこれを否認し、その後も取調べで虚偽の事実を述べてアリバイが成立しないことなどを根拠に請求人が白福事件の犯人であると認めるに足りる充分な理由があると思料して請求人を緊急逮捕したことが窺われるから、この点において、本件逮捕手続に違法性があるとは認められないし、請求人主張のように証拠資料がないのに裁判所を欺罔して先に逮捕状をとり後に証拠資料が入手された段階でつじつまをあわせたとも認められない。

(C) 別件窃盗事件逮捕手続との関連について

なお、本件逮捕は別件窃盗事件により逮捕し身柄を拘束していた請求人を釈放後わずか二時間ほど経過したのみでなされたものであり、しかも前記(ロ)の(B)、(C)で判示した限度で別件窃盗事件の逮捕手続の適法性にやや疑問が存する点もないではないが、右のように本件逮捕の証拠資料は別件逮捕を利用して請求人から得られたもの以外の証拠資料を重要なものとしており、しかも、別件事件で釈放後本件で再逮捕するまでの時間、場所等からして、別件での逮捕手続についての適切を欠く措置が本件での逮捕手続の効力に直ちに影響を及ぼすものとは認められない。

(D) 事件送致手続について

また、右白福事件送致書(第一〇号証)によれば人吉市警察署の事件送致は同月一九日付でなされ、熊本地方検察庁八代支部の受理印は同月一八日付となっているが、逮捕状(第八号証)の送致手続欄の記載内容、勾留請求書(第一六号証)、勾留状(第一七号証)の各日付等に照らし、右警察の事件送致は同月一八日のところを同月一九日と誤記したものというべきであり、関係書類追送書(第一九ないし第二二号証)の事件送致日がいずれも一九日と記載されているのは右事件送致書(第一〇号証)の誤記をそのまま引き継いだものということができる。したがって、右事件が検察庁へ送致されたのは逮捕状(第八号証)記載のとおり同月一八日午前一一時であるというべきであるから、右事件送致手続に違法な点があるとは認められない。

(ニ) いわゆる別件逮捕について

請求人は別件窃盗事件についての逮捕は本来その要件、必要性が存しないのになされたいわゆる別件逮捕であると主張する。一般的に捜査官においてはじめから取調べの意図がなく、身柄拘束の必要性も存しないのにもっぱら本来の目的とする他の事件の捜査のために被疑者の身柄の拘束状態を利用する目的または意図をもって殊更に名を別件に借りて逮捕状を請求執行するのであれば右手続が形式的に履践されていても、かかる捜査方法は法の定める厳格な令状主義に反し、司法的抑制を潜脱し、別件本件を通じて一連の強制捜査権の乱用として本件についての逮捕、勾留も違法性を帯び、その間に作成された被疑者の自白調書は証拠能力を欠くものといわねばならないであろう。しかしながら逮捕手続は各事件毎に逮捕の要件の有無、必要性について判断されてなされるべきものであるから令状請求のなされた別件を基準として逮捕の要件の有無を判断すべきであって捜査官において他の事件について併せて取調べをする意図を有していたとしても右意図があることをもって直ちに右別件で逮捕することは許されないとは言えない。もっとも右別件の逮捕の要件必要性が存してももっぱら身柄拘束の大半を本件の追及に費すときは結果的に司法的抑制の理念が潜脱されることになるから、結局いわゆる別件逮捕として違法性を帯びるか否かについては、別件につき本来逮捕の要件必要性が存したか否か、右要件があっても捜査官において殊更に逮捕して身柄拘束の大半を本件の追及にあてたか否かにつき、右別件逮捕の経緯、事案の軽重、逮捕後の取調べ状況などから総合して判断されねばならない。

これを本件についてみるに、前記認定したように別件窃盗事件は警察官において請求人が、同事件で取調べを受けたことがあったことを知っていたとはいえ本来逮捕を予定していたところではなく、人吉市警察署に同行後請求人が自白したもので警察官が殊更に事件を捜し出して逮捕に及んだものとはいえず、また前記捜査の経過において認定したとおり別件窃盗事件については所轄免田町警察署に盗難届がなされ現に捜査中であり、請求人の司法警察員に対する昭和二四年一月一五日付供述調書(第二三号証)によれば別件窃盗事件は深夜敢行されたものであり、請求人は右窃取した玄米一俵を当時の価格三、二〇〇円で売却していることに徴すると、右事件は必ずしも軽微であるとはいい難く、前記犬童方からの籾等の窃盗についても同署に盗難の届出はなされており、同調書によれば右犯行も請求人は予め右犬童方を狙って他家から空叺を盗んで用意し、深夜犬童方から七俵分の籾を窃取したのであって偶発的犯行とは言い難いのであり、この事件とあわせて窺える請求人の犯罪性も軽視できないものがあり、請求人の昭和二四年一月一七日付司法警察員に対する供述調書(第二五号証)や第一審における免田栄策の証人尋問調書から窺えるように右逮捕当時請求人は妻アキエと別居し、父親と反目状態で昭和二三年一二月二九日家を出てからは転々と他所を泊り歩いていたのであって定まった住居を有しているとも言えず、身柄確保の必要性も存したということができるのであって、熊本地方検察庁八代支部の最高検察庁公判事務課あての電信文(第四九号証)、当審福崎良夫の証人尋問調書によると、警察官において別件窃盗事件で逮捕された請求人に対して白福事件についての取調べをする意図を有し、同事件についても取調べたことは認められるけれども前記捜査の経過で認定したとおり、別件窃盗事件で身柄拘束中に当該窃盗事件について補強証拠の収集や請求人の自白調書の作成もなされ、その後前記捜査の経過で認定したとおりの事件送致そして釈放手続がなされているのであって、これらに別件窃盗事件で請求人を逮捕している間に本件白福事件についての請求人の供述調書も作成されていないことをあわせ、さらに当審における多良木利次、福崎良夫の各証人尋問調書に照らすと、捜査官において、もっぱら白福事件の捜査のために別件窃盗事件で請求人の身柄を拘束したとは断じ難く、したがって、別件窃盗事件についての逮捕がいわゆる別件逮捕として違法性を帯びるということはできない。

(ホ) 自白調書の証拠能力

以上のとおり、請求人に対してなされた別件窃盗事件での逮捕手続中には前記説示した限度で適法性に若干疑問がある部分がないでもないが、右が本件白福事件の逮捕手続の適法性に直ちに影響するものとは認められず、また白福事件の逮捕手続に請求人主張のような違法性があるとは認められないうえ、別件窃盗事件がいわゆる別件逮捕としての違法性を帯びるとはいえない本件にあっては、その身柄拘束中になされた白福事件の取調べが、本件白福事件での身柄拘束中に作成された請求人の自白調書の証拠能力を奪うということもできずまたその任意性の有無に影響したとも言えないのであって、結局、これらの点について請求人の新たに提出した証拠ならびに当審で取調べた各証人の証言も明白性を有しない(新規性について疑問のある請求人本人の当審での供述も明白性がない。)といわなければならない。

2 本件再審請求理由(二)(自白調書の任意性)について

(1) 刑事訴訟法四四七条二項該当の有無

前記1、(1)記載のとおり請求人の自白調書の任意性の問題についてはすでに第四回再審において、拷問、脅迫があったこと、徹夜で取調べを受けたことなどの主張がなされたところであり、請求人の本件主張はほぼ右主張に一致するものであるが、本件では右第四回再審の棄却決定の際判断資料とならなかった証拠を提出して自白調書の任意性の欠如を主張するのであるから、前記(一)、1で説示したとおりの理由により、右主張は刑事訴訟法四四七条二項にいう再審請求禁止の同一理由には該当しないものというべきである。

(2) 証拠の新規性

(イ) 第六三、第六四号証(第六三号証は益田美英の、第六四号証は福崎良夫の東京地方裁判所における証人尋問調書の写しである。)、当審における証人馬場止、同多良木利次、同福崎良夫、請求人本人については新規性がない。

すなわち、前記第一審記録によると、請求人は第一審の第一回公判期日において白福事件については殺意を否認し、傷害の部位程度は知らない、と述べたほかは全面的に犯行を認め、第三回公判期日において右自白を翻して全面的に否認するに至ったものであるが、右期日における裁判長の尋問に対し、「人吉市警察では三日三晩そんなこと(鉈で斬りつけたこと)はないと云ったが、白状せんと腕立伏せをせろとか、板張の上に坐っておれと云われるので、私は嘘をつくって云ったのであります。」旨警察官からの無理な取調べを窺わさせるような供述をしていたのであるが、福崎良夫については第一審が昭和二四年三月五日人吉簡易裁判所で実施した証人尋問において、益田美英については第一審の第六回公判期日において、多良木利次、馬場止については第一審の第八回公判期日において、それぞれ請求人を取調べた警察官として、請求人が白福事件について任意に自白した経過を詳細かつ具体的に証言しているのであり、その際、右福崎に対しては、弁護人は、特に任意性に関する反対尋問もせず、右益田に対しては、請求人及び弁護人は裁判長から尋問の機会を与えられたのに「尋ねることはない。」として全く反対尋問をせず、右多良木、馬場に対しては、弁護人は特に任意性に関する反対尋問をすることなく、請求人は裁判長から尋問の機会を与えられたのに「尋ねることはない。」として反対尋問をしなかったものであり、以上の経過と冒頭掲記の各証拠が特に第一審当時の証言内容とその大要において異なるものではないことを総合すると、右各証拠は新規性のある証拠ということはできず、また、請求人本人も前記の経過に照らすと新規性のある証拠とはいえない。

(ロ) 第六八、第七五、第八一、第八二号証ならびに当審における浦川清松の証人尋問調書は原審において取調べを受けておらず、また原審当時容易に提出できたものと断ずることもできないから新規性を有するものと解すべきである。

(3) 証拠の明白性

そこで新規性を有する右各証拠について明白性の有無を判断する。

(イ) まず当審における浦川清松の証人尋問調書によると、請求人は昭和二四年一月一六日白福事件で逮捕されて取調べを受けたが、同日夜、当時人吉市警察署の刑事課庶務係をしていた右証人が人吉市警察署一階の電話交換室で請求人を休息させた際、請求人が疲れたからと言って横になり最初ふるえていたものの、その後しばらくの間熟睡したというのであり、同証拠によればその当時請求人は心身ともにある程度疲労していたことは否定し得ないが、前記取調べが終ったのも同日午後一二時までの間であり、右程度の事実をもってしては、取調べ自体が請求人主張のような理由で違法不当であると認定することはできない。

(ロ) さらに弁護士佐伯仁作成の断眠実験例供述録取書(第七五号証)は単なる実験例であり、これをもって本件取調べの違法、不当ないしは供述調書の作為性を立証することはできず、免田栄の尋常小学校、同高等小学校における各成績証明書(第八一、第八二号証)によるも請求人がその主張のように知能が遅れていたとは直ちに認め難く、右は第一審における請求人の父親免田栄策、前妻段村アキエ、伯父蓑毛進らの各証人尋問調書ならびに第九回公判期日において請求人の弁護人申請による精神鑑定が却下されていることに照らしても明白性を欠くというべきである。

(ハ) 次に東京地方裁判所の蓑毛厳に対する証人尋問調書写し(第六八号証)については、同人は請求人の叔父であるが、同人が昭和二四年一月一八日人吉市警察署に請求人の差入れのため赴いた際、請求人の両頬がむくんだようになっていたというのであり、単にこれのみをもってしては直ちに請求人が主張するような違法不当な取調べを受けていたとは認められないというべきである。

以上のとおり、右各証拠はいずれも明白性がない。

3 本件再審請求理由(三)(自白調書の信憑性)について

この点についての請求人の事実の主張は新証拠によれば請求人の自白調書の記載内容は不自然かつ不合理な点が多く、その信用性がないことが明らかとなったというのである。

よって以下請求人の事実の主張に従い判断する。

(1) 犯行後の足どりについて

(イ) 刑事訴訟法四四七条二項該当の有無

請求人は第四回再審において、人吉測候所作成の気象記録を提出し、右気象記録から窺える昭和二三年一二月三〇日の請求人が上衣等を洗ったとされている時間帯における温度等から、右上衣等の洗浄は不可能である旨主張したが、これについては実質的判断を受け、右再審申立は前記のとおり棄却決定がなされ確定したものであり、右気象記録は同年一二月二九日及び三〇日における一時間毎の気温、湿度、風向、風速等が記載されているものであって、本件の第一〇三号証は同測候所長作成の気象照会回答書であって、本件の検証時である昭和四八年一二月二六日における午前〇時から午前九時までの間の三時間毎の気温、風向、風速等が記載されているものであり、右気象照会回答書はこれにより結局は昭和二三年一二月三〇日当時の気温等を推測すべき資料として意味を持つものであるから、実質上前記第四回再審時に提出された前記気象記録と同視すべきものであり、したがって、右気象照会回答書に基づいて、それにより証明されるような気温のもとで請求人が「ハッピ」等を川で洗うのは不可能であると主張することは前記刑事訴訟法四四七条二項の法意に照らし許されないものというべきである。

(ロ) 証拠の新規性

請求人が新証拠として提出する第五九ないし第六二号証、第八四号証は白福家の位置および付近の地理的状況、逃走経路中の河川状況等を立証しようとするにあるが、逃走経路の地理的状況を立証する部分は新規性ありとしても、右白福家の位置、付近の地理的状況についてはすでに第一審で二回にわたって検証がなされて司法警察員作成の検証調書も取調べられており、右事実を立証する部分については新規性がないというべきである。また録音テープ一本はその録音内容からしてもともと証拠としての価値に乏しいものというべきである。

(ハ) 証拠の明白性

次に当裁判所の検証調書二通(昭和四八年一二月二五日付、同二六日付)、第一〇四号証の一ないし六三、第一〇五、第一〇七号証はいずれも証拠方法としての存在ならびに証拠資料に照らし新規性を有すると認められるので、これらについて請求人の自白調書の信用性を否定するに足りる明白性を有するか否かを検討する。

(A) 国鉄湯前線願成寺踏切付近の地理的状況について

請求人の司法警察員に対する昭和二四年一月一七日付供述調書(第二五号証)の二二項の逃走経路として記載してある「中学通りから東駅の前に出て東駅前の道路を願成寺町方面に行きそれから湯前線の線路伝いに約一〇〇メートル位行って右土堤に上り木上に通ずる県道に出て高原の滑走路のところに行った。」旨の記載については、そのような歩行が地理的状況から困難でありまた不合理であるというが、当裁判所の昭和四八年一二月二五日付検証調書第二項の六の2(一)ないし(四)記載の国鉄湯前線願成寺踏切付近検証の結果によれば、願成寺踏切から湯前線沿いに一〇〇メートル東進した付近の南側の斜面は高さ約一・三メートルの土堤であって雑草が密生して上ることができ、土手上は道路がなく南側の墓地になっているが、その墓地を通り抜けて更に畑に沿った畦道を伝って南進すると県道に沿った観音禅寺の山門前に至り右山門の南側に県道が通っているが、その境は約四・五メートルの二段落ちの崖となっており、右山門からその前の参道を西進すると、右自白調書どおり県道に出ることができるが、右参道を出て県道に出た地点は願成寺踏切方面から南方に通じる道路と県道との交差点になっていることが認められ、前記調書によると、請求人はその後右県道を東進したというのであるから、右参道を経て県道に出たとすると、東進するのに、一旦東進して南進したうえ、さらに西進して東進するという遠廻りをしたことになる。

ところで、請求人の供述調書の、湯前線伝いに約一〇〇メートルとの記載は夜間、逃走中の状況を後にその記憶に従って供述したものであるから正確は期しがたいけれども、現に約一〇〇メートルの地点で右土堤に上り、県道上に至ることも可能であることを考えると、客観的な地理状況に照らして供述調書記載のとおりの歩行ができないとはいえず、また人通りの多い交差点を避けあるいは短絡路をとろうとするのは逃走する者の心理ということはできても、また犯行後の狼狽心や一定の目的地のない逃走は常に合理的な逃走経路をたどるとも言えず、また前記検証調書によると、右参道横から県道上に伝い下りることも全く不可能ではないと考えられるから、結局右各証拠をもってもこの点に関する自白調書に不合理があるということはできない。

(B) 鉈を埋めた場所について

請求人は、請求人の前記供述調書二三項には「鉈を高原の滑走路と旧道の境目のところで畠の中に土を堀って埋めた。」旨記載されているが、当裁判所の昭和四八年一二月二五日付検証調書添付見取図(五)によれば滑走路と旧道とは平行して境目のところは存在しないし、広い地域の中で鉈を埋めたという地点も特定されていないと主張する。

そして、右検証調書第二項の七の2記載の高原旧飛行場滑走路跡付近の検証の結果によると、旧県道と右滑走路跡は東西に平行しその間は(北側が旧国道、南側が右滑走路)約三〇〇メートル離れていて畑地となっていること、旧国道の西側において旧県道から東南の方向に道路が分岐し右滑走路に通じていることが認められる。

ところで右検証時より白福事件のあった二五年前の状況が右検証当時の状況と全く同一であるか否かは暫く措くとしても、請求人の前記供述調書の記載だけでは境目なるものが、滑走路と旧道の中間の一帯を意味しているのか、右に認定したような滑走路への道路と旧道の分れめ付近を指すのか必ずしも明確ではなく、単に境目がないからといって直ちにこの点に関する自白が不合理であるということもできず、右鉈を埋めた地点については、第一審の第八回公判期日において右地点の確認に赴いた警察官の一人である上田勝治が証人として取調べられ、右鉈を埋めた場所、その痕跡を確認した経緯について請求人が具体的な場所を指示した(この点については第七一号証にも同旨の記載がある。)ので警察官において写真を撮影したことなど詳細に供述し、請求人の指示した地点の写真は第一審において証第一四号として領置取調べがなされているのであるから右鉈を埋めた場所の存在を疑う余地はないのであり、右検証の結果から窺える状況をもって自白調書に不合理性があるということはできない。

(C) ハッピ付着の血液の洗い落し場所と時間の不合理性について

請求人は請求人の右供述調書二三項には「ハッピは、免田、深田、木上の境の六江川でハッピについていた血を洗い落した。ハッピには胸のあたりに大分血が付着していた。その時の時間は朝方五時頃と思う。」旨記載されているが右「六江川」なる河川は存在せず、午前五時頃はハッピの血痕は判別できず、当時の気象状況等からして衣類を河川の流水で洗うこと自体不可能であり、これらは前記検証の結果や第一〇三号証などにより明らかであると主張する。

(a) 場所の不合理性について

ところで当裁判所の昭和四八年一二月二五日付検証調書の第二項の八ないし一〇項および同調書添付の人吉地方地形図、同見取図(六)によれば、右供述調書に記載されている免田、深田、木上の三村境界付近に認められる河川は木上溝、のづ溝(野津川)、池田溝(池田川)、水待溝(俗称永池川)などであって、地元市町村係員の立会指示を求めた昭和四八年一二月二五日の当裁判所の検証によっても右三村境界付近において「六江川」なる河川の存在を確認するには至らなかった。しかして「六江川」なるものが、どのようにして前記調書に記載されるに至ったかについては、当審における福崎良夫の証人尋問調書によると、同証人は警察官として前記調書を作成したものであるが、「六江川」については請求人の口から出た河川の名称であり、同証人自身請求人が供述する付近は球磨川の支流があり、河川が存在することは知っていたものの、「六江川」なる河川については知るところではなく、格別これを確認しないまま請求人の言うがまま調書に記載したことが認められ、なお、右検証の際の地元市町村係員の指示にもあるように、地元では川を溝(ごう)と呼称し、前記野津川も「のづごう」、などと呼称され、木上溝についてはまた「きのえみぞ」と言われたり「きのえごう」と呼ばれたりしているのであり、前記証人福崎良夫は前記尋問調書によると、右のような地元の呼称については十分の知識がなく、一方請求人は前記調書によって明らかなように、同所付近の本籍地で出生、成育したものであって、付近の河川の存在、その特殊な呼称等を知悉していたものと推認され(現に当審において請求人が木上と免田との境に「おつぽごう」と呼称されている川がある旨述べているけれども、前記検証でもその様な川は確認されていない。)、また、請求人の昭和二四年一月一六日付供述調書(第二四号証)添付の現場図面の請求人説明部分の記載がすべて片仮名でなされていることが示す当時の請求人の漢字での表示能力(右「おつぽごう」についても当審において請求人はどのように表示するのか知らない旨述べている。)よりすると、「六江川」なる河川の調書への記載は請求人の発音のみに従って右福崎が「六江川」と表示したものと推認され、その際、請求人の言語による表示と川の名を知らない右福崎の漢字による表示との間に誤りが生じ、請求人の表示が正確に記載されなかった可能性もあり、前記の検証の結果により、「六江川」なる河川の存在が確認できないからといって、直ちに前記自白調書に不合理性があるとはいえない。

(b) 時間の不合理性について

なるほど、第一〇五、第一〇七号証および当裁判所の昭和四八年一二月二六日付検証調書によれば、同日午前五時頃には、前記三村の境界付近においてハッピの血痕の識別は困難であり、また、右検証調書によると、右同所から人吉市内方面に赴く途中において同日午前六時一五分頃山の稜線が見え出す程度になり、同日午前六時四五分には周囲が明るくなったことが認められるけれども、犯行後長時間にわたって夜間逃走する者が時刻を正確に記憶していることは時計でも見ていない限りかえって不自然であり、請求人の供述調書中のハッピを洗ったのが朝方五時頃との記載も極めて正確性に乏しいものであって、右時刻が血痕を識別できる程度の時刻であったとしても、右検証の結果に照らすと、右同日午前一〇時頃請求人が人吉市内で平川ハマエに目撃されたこと(第一審における同女の証人尋問調書)と時間的に必ずしも矛盾をきたすものではなく、以上のことよりすると、前記各証拠をもってしても自白調書の信用性を左右するものとはいい難い。

(D) 逃走経路全体の不合理性について

請求人は前記新証拠によって三〇数キロメートルに及ぶ周回行動および所要時間の不合理性ならびに当時の寒気、暗闇、疲労、空腹、孤独感からして請求人が昭和二三年一二月二九日深夜犯行後三四キロメートルの道程を踏破して翌朝午前九時三〇分頃再び人吉城跡に回帰することは物理的に不可能であることが判明し、その結果請求人の自白内容が不合理、不自然で信用できないことが証明されたし、また、犯行後の足どりは犯人のみが体験し記憶する状況であるから自白が真に供述者の体験にもとづくものとすればそこに具体的迫真性が必ず泌み出る筈であるのに請求人の自白についてはこれらがうかがわれないので、この点からして請求人の自白には信用性がないと主張するのでこの点について判断するに、右検証調書によれば当裁判所の検証において要した時間と請求人が自白する時間とは往路、復路で若干の差があり、また仮想犯人として請求人の自白調書記載の道程を踏破した山本栄蔵は人吉城跡到着後裁判長に対して疲労、寒気等を理由にこれ以上歩けない旨述べていることが認められるが、同人は少なくとも請求人供述の時間内でその道程を踏破できたことは明らかであるうえ、請求人の場合は逃走する者としての心理的状況、歩行状況、土地勘などの諸条件において当裁判所の検証時と異なるものがあるといえるから、当裁判所の検証結果を理由に自白調書にある逃走経路を歩行することは不合理ないし物理的に不可能であるとはいえず、さらに犯行後の足どりに関する自白調書に具体的迫真性がないとの点についてはその点の欠如があったとしてもそのことから直ちに自白調書の信用性が否定されるものとはいえないし、逃走経路の不合理の主張についての前記説示に照らしても請求人の主張は理由がないというべきである。

(四) 荷物の隠匿場所の不合理性について

その他、当裁判所の検証調書によるも荷物の隠匿場所についての請求人の自白調書に請求人主張のような不合理性は認められない。

以上のとおり、これらの点に関する新証拠は請求人の自白調書の逃走経路部分の信用性を疑わせるだけの明白性を有しないといわなければならない。

(2) 犯行の態様について

請求人は鑑定人矢田昭一作成の昭和四九年八月二三日付鑑定書(第一〇六号、以下単に「第一次矢田鑑定」という。)、昭和五〇年六月一一日付鑑定書(第一一三号証、以下単に「第二次矢田鑑定」という。)、当審における証人矢田昭一の証言(以下単に「矢田証言」といい、第一、第二次矢田鑑定、矢田証言を総称して「矢田鑑定」という。)、現場写真五葉(第八五号証)によれば、被害者白福角蔵(以下単に「角蔵」という。)は第一に刺身包丁による刺創を受け、同時に右上肢切創を受け、次に鉈による頭部割創を受けたもので刺身包丁による頸部刺創は止めでないことが明らかとなったので第一審判決が証拠として挙げた請求人の捜査官に対する自白調書および世良完介の角蔵の死体についての昭和二四年一月二七日付鑑定書(第三四号証、以下単に「世良第一次鑑定」という。)はその犯行の態様が矛盾しており、その信用性、証明力は失われた旨主張する。

(イ) 矢田鑑定に基づく主張の刑事訴訟法四四七条二項該当の有無

ところで、この点については、すでに第三回再審において右矢田鑑定と結論において同旨の鑑定人世良完介の昭和三一年八月七日付鑑定書(第九四号証、以下単に「世良第二次鑑定」という。)が提出されて取調べを受け、第四回再審においても同鑑定書をもって本件と同様の主張をし、同再審においてその実質的判断を受け、新証拠にあたらないとして排斥され右再審申立は棄却されて確定していることは前記のとおりである。したがって、右世良第二次鑑定と結論において同旨の矢田鑑定をもって請求人自白調書記載の犯行態様の矛盾を主張することは刑事訴訟法四四七条二項が同一理由に基づく再審の申立を禁じた趣旨に照らして許容できるか否かを検討しなければならないところ、前記のように右条項により再審請求が禁止される場合は同一の証拠に基づいて同一の理由により再審を申し立てた場合であるところ、右同一の証拠にあたるかどうかは結局前記二、(一)、2の(4)で述べた鑑定の新規性を判断する基準で決すべきところ、右第二次世良鑑定がその資料として用いているところは専ら第一次世良鑑定であり、角蔵の創傷の軽重が被害者に及ぼす影響について医学的に考察し、また鉈と刺身包丁の使い分けの難易の点に着目して兇器使用の前後関係を判断しているのに対し、矢田鑑定は右第一次、第二次世良鑑定のほか、第一審に提出された昭和二三年一二月三一日付検証調書、第一審が兇器と認定した鉈と同一形状の鉈、第一審における白福イツ子に対する証人尋問調書等を資料として前記第二次世良鑑定の視点に加え、被害現場室内の状況とその血痕付着状況、被害者角蔵、同白福トキエの創傷から推定される受傷の順位とその際の姿勢、被害者角蔵の頭部に付着した流下血痕の状況など多岐の点から検討を加えて結論しているのであって、鑑定の方法やその用いられた資料において第二次世良鑑定と同一のものとはいえず、証拠資料としての意義、内容において異なると思われるので右矢田鑑定に基づいて本件主張をなすことは前記二、(一)、1で説示したとおり前記条項にいう同一の理由には該当しないというべきである。

(ロ) 矢田鑑定の新規性

証拠の新規性を判断する場合にあたっても、鑑定の場合にはその判断基準は右に述べたと同様であることは前記二、(一)2の(4)で判示したとおりであり、世良第一次鑑定はすでに原審において取調べがなされているが、その結論を異にするばかりでなく、鑑定の方法やその用いられた資料を異にするものであるから、矢田鑑定は証拠としての新規性を有するというべきである。

(ハ) 矢田鑑定の明白性

そこで矢田鑑定について新証拠としての明白性を有するかについて検討するに、その主文の要旨は角蔵の頸部刺創は最初に加えられたものと推定され頭部割創後止めとして加えられたものとは考えられないというにあり、その理由として第一に頸部刺創は上肢防禦創の存在から角蔵の意識のあるときに受けたものと推定されるところ、同人はその最終体位、後頭部の流下痕、屏風血痕の飛散状況からして最後に後頭部割創を受け、それまで受けた重大な頭部割創もあってそのままうつ伏せになって絶命したとみられるから、その後に止めとして刺身包丁で頸部を刺したとしても右防禦創は生じないし、また止めを刺そうとすれば同人を抱き起す必要があるのにその流下痕からしてそのような形跡もないことを挙げている(第一次矢田鑑定書五五頁、第二次矢田鑑定書七頁以下、矢田証人尋問調書八五問ほか)。たしかに第二次矢田鑑定も指摘するとおり角蔵の受けた頭部割創の多くは著明に頭骨を切創し、脳震盪さらには脳の意識中枢の一次傷害を惹起せしめる程度のものと認められるから遅くとも最後に加えられたと推定される後頭部割創により意識を消失したものでその後においてなお手を用いて包丁の刃を握る等の合目的的行動はとれなかったとみるのが合理的であり(同鑑定書九頁)、しかも、後頭部の流下痕の位置、形状からして最後に角蔵を抱き起して刺身包丁でその頸部を突き刺したと推察できる余地は少ないというべきであって、これらによれば、角蔵の受けた頸部刺創は請求人が自白調書で供述しているように最後の止めとして加えられた創傷であるとする可能性は少ないものといわなければならない。そうだとすると、頸部刺創は頭部割創に先立ち最初に角蔵に加えられたものかあるいは頭部割創の途中で加えられたものかのいずれかになるが、この点につき矢田鑑定は前記のとおり右は最初に角蔵に加えられたものであると推定されるというにある。しかし、矢田鑑定を仔細に検討すると、同鑑定は必ずしも頸部刺創が最初に加えられたものであるとの結論を下しているとは解せられない。すなわち、同鑑定は右推定理由としてまず頸部刺創は角蔵があお向けに寝ているところを刺身包丁類で刺されて生起したものと推定し、その根拠として①頸部刺創の創洞の向き、②頭部付近の畳の血痕の浸潤の工合を挙げるが(第一次矢田鑑定書五五頁以下、矢田証人尋問調書八一問)、①について同鑑定人は被害者が寝ていたところかまたは上半身起き上ったところを右方から刺された場合に生ずるとしており(右同鑑定書五六頁、同調書八一問、一一〇問)、右両者のうち前者と推定したのは②のように畳の血痕の浸潤の工合から前者の公算が大きいように思われるという程度(右同鑑定書五六頁、同調書八一問)であって必ずしも明確な根拠に基づくものでないことは同鑑定自体自認するところといえる。もっとも、同鑑定は頸部刺創は大血管に損傷がないとはいえその部位からして相当量の出血を来たしたことをも論拠とするが(右同鑑定書五六頁、同調書八一問)、かりに相当量の出血があったとしても同鑑定によれば角蔵は引続いて第一次矢田鑑定書添付写真一四の一連の動作に移ったというにあり、しかもその後に受けた頭部割創による多量の出血もあわせ考えれば相当量の出血により畳に血痕が浸潤したことをもって角蔵は寝ていたときに頸部を刺されたとする論拠に乏しいといわなければならず、いずれにしても同鑑定は、頸部刺創は角蔵があお向きに寝ていた場合以外にも生起する可能性があることを否定していないことは明らかである。

次に矢田鑑定は③頭部の割創は重大なものが多く、脳損傷あるいは脳震盪等により被害者の意識を早期に失わせたことが推察されるうえに④加害者自身攻撃中兇器である鉈の類を一時刺身包丁の類に持ちかえるとは考えにくいので頭部の割創は引き続き生起されたとみなされることを論拠とする(第一次矢田鑑定書五七頁以下、第二次矢田鑑定書七頁以下、矢田証人尋問調書八一問)。しかし、同鑑定は③について脳震盪の有無は頭部に加わる外力の強さのほか被害者の頭部が自由に動きうる状態か否かさらには頭部へ加わる外力の方向によって差異があること、角蔵の頭部割創のうち重大な割創と指摘される頭蓋骨が著明に切創されているものについては骨の切創によるエネルギー消耗のために脳震盪を来たすためのエネルギーは多少減殺されているかもしれないことを肯定しているのであって(第二次矢田鑑定書四頁以下)、したがって、同鑑定も頭部割創により早期に意識を失ったと推察されるというにとどまり、現実に角蔵が意識を失った時期についてかなりの巾をもたせていることがうかがわれるのであり、また④については単に一般論として説明しているにすぎないうえ、同鑑定のように最初刺身包丁を使いその後に鉈を使用したときにも同様の問題が起こるというべきところ、これについてはそばにあったり身につけておれば刺身包丁を握りかえるぐらいは簡単だと思うという程度で(矢田証人尋問調書一八九問)明確な説明はなく、そもそも矢田鑑定で前提とされているのはむしろ通常人の合理的行動であって犯罪者の異常な心理状態からくる非合理的行動については格別の視点を向けていないともみられ、いずれにしてもこの点は鑑定人の主観的な意見にすぎないということができ、結局頭部割創は引き続き生起されたというのも推測の域にとどまるというべきである。加えて、矢田昭一自身当裁判所の証人尋問において角蔵に対する攻撃は第一次矢田鑑定書添付写真一四の六枚の写真に見られる一連の体位でうまく説明できるとする旨証言し、他の可能性を否定していないのであって(矢田証人尋問調書一八六問、一八七問)、これらの点を総合すれば、結局矢田鑑定は、角蔵の体位、各創傷の順序等につき他の可能性を前提としたうえで、考えられる合理的な一ケースを推定したものと解するのが相当である。

以上検討のとおり矢田鑑定の趣旨は角蔵の頸部刺創は最後の止めとして加えられた可能性が少ないというにあり、右刺創が必ずしも最初に角蔵に加えられたとの結論を下したものとは解せられないのであるが、しかし、請求人はその自白調書(第二五号証)において止めとして刺身包丁で角蔵の咽喉部を突き刺した旨供述しており、矢田鑑定によれば請求人の右部分の自白調書の信用性に影響を与えることは否定しえない。そこで請求人の自白調書中の右部分の信用性が疑問視されることによって犯行の態様に関する請求人の自白調書部分の全体の信用性が否定されるか否かについて検討するに、請求人は自白調書でも述べているように、最初母親(白福トキエ)から泥棒と声を立てられて平静を失い、父親(角蔵)が起き上ろうとしたので恐怖と焦燥の念にかられ周章狼狽のあまり所携の鉈で父親に斬りかかり、以後無我無中で一家四人に次々と襲いかかったというのであり、当時の請求人の異常な興奮状態あるいは心理状態のうえに兇器が二個あり、被害者が四人という客観的状況から請求人が犯行の具体的順序、方法、経過等細部において記憶が混乱しあるいは欠缺している点があったとしても無理からぬものがあり、これらにおいてあるいは事実と異なっている点が見受けられるとしてもその大筋において信用性が肯定されれば足りるというべきところ、請求人の右自白は角蔵に斬りかかるまでの経緯について犯人でなければ知りえないことを具体的に供述しており、具体的行為に関し供述した部分についても、刺身包丁による止めの点はともかくとして、その他においては被害者白福イツ子の「父が一番先に叩かれ光雄と二、三度呼んだ。次に母が叩かれ父がばたばた苦しんでいるのを又叩いて頭を割った」旨の供述(同人の司法巡査に対する昭和二三年一二月三〇日付供述調書(第一一二号証))ならびに同人の「母が泥棒と叫んだので目を覚しました。」旨の証言(同人に対する第一審昭和二四年三月四日付証人尋問調書)および「母の泥棒という声で目が覚めた。母の方で一度父の方で一度薪を割るような音が聞えた。父と母がうなっているのが聞えた」旨の証言(同人に対する控訴審昭和二五年一二月二〇日付証人尋問調書)等とも大筋において符合するものであるということができる。そして前記のような異常な興奮状態もしくは心理状態のもとにおいては請求人が自白しているように父親が苦しまぎれに起き上ろうとしているのをみて突嗟に目についた刺身包丁を手に取って止めのつもりでその咽喉部を刺したことも十分考えられ、しかも請求人の当時の異常な心理状態等からしてこれを真に止めとしてなしたものと信じ捜査官に供述したこともあり得るといわなければならない。加えて矢田鑑定によって請求人の角蔵に対する第一打が刺身包丁による頸部刺創とされるのならともかく同鑑定によるもそこまで結論づけていないのであるから請求人供述のように第一打が角蔵に対する鉈による斬り付けとしても矢田鑑定とは矛盾しないといえる。その他前記説示のとおり請求人の自白調書中他の部分について信用性を否定すべきような事情もうかがわれないこと等を総合すれば矢田鑑定により刺身包丁による頸部刺創が止めとは考えられないことが証明されたとしてもなお同鑑定は犯行の態様に関する請求人の自白調書の信用性を否定するものということができない。

よって矢田鑑定はこの点について新証拠としての明白性を欠くというべきである。

(3) 犯行の動機について

(イ) まず、請求人が新証拠として提出した第五九ないし第六二号証、第八四号証ならびに当裁判所の検証調書は、右1で説明したとおり第一審で白福家の位置および付近の地理的状況について検証がなされていることに照らし新規性もしくは明白性を有しない。

(ロ) 次に、第一一二号証は白福イツ子の司法巡査に対する供述調書であり、すでに同人は第一審で取調べを受け、犯行時の状況について述べているところであって新規性ある証拠とはいえない。

(ハ) さらに、第一〇六、第一一三号証および当審における矢田昭一の証人尋問調書は前示(2)のとおり犯行の態様について計画的な犯行であることまで立証するものとはいえず、明白性を欠くというべきである。

(4) 検察官、裁判官および裁判所に対する自白

(イ) まず、請求人が新証拠として提出した証拠中、免田小学校長作成の免田栄の尋常小学校および高等小学校各成績証明書(第八一、第八二号証)については、前記本件再審請求理由(二)で判断したとおりである。

(ロ) 次に、東京地方裁判所の本田義男に対する証人尋問調書(第七〇号証)によれば、同人が第一審の第一回公判前に請求人の弁護人として請求人に面会して弁護人選任届を提出させて簡単な会話を交わしたこと、その際同人はその応待の態度からして請求人が遅鈍な男との感じを抱き、請求人が正常な判断力を有せず異常に知能指数の低い人間ではないかとの疑念から精神鑑定が頭にひらめいた旨供述しているが、同証拠によるも同人が右の疑念を抱いた根拠は必ずしも明瞭ではなく、しかも精神鑑定の申請は前示のとおり第一審で却下されているのであって、これらを考え合わせれば右証拠でもって請求人主張のような請求人の当時の精神状態を認めることはできず、結局右証拠は新規性はともかく明白性を欠くというべきである。

(ハ) なお、請求人は検察官、裁判官および裁判所に対する各自白はそれに先立つ人吉市警察での違法不当捜査およびこれにより請求人の被った心理苦痛、心身の疲労を承継しその影響下になされたものであるから信用性がないと主張するが、前記説示のとおり人吉市警察において請求人主張のような違法不当捜査があったとは認められないから、右違法不当な捜査があったとして提出した前記証拠により右各自白につき信用性がないということはできない。

4 本件再審請求理由(四)(熊本県警鑑定回答の証明力の弾劾)について

(1) 証拠の新規性

この点についての請求人の事実の主張は、請求人提出の船尾忠孝作成の鑑定書(第九五号証)、東京高等裁判所の上田勝治に対する証人尋問調書(第一〇二号証)および証人馬場止、多良木利次、福崎良夫、矢田昭一により、第一審判決が有罪認定の証拠として挙げた熊本県警鑑定回答につき、その鑑定に要した時間および鑑定資料となった本件白福事件の犯行に供したとされる鉈に付着していた被検斑痕の量が血液型判定のためには十分でないとして右回答の証明力を弾劾しようというものであるが、請求人提出の右各証拠の立証趣旨に従うと、右熊本県警鑑定回答の証拠価値を減殺するものであり、前記二、(一)、2の(5)で説示したとおりの趣旨に従い、またその証拠方法としての存在及び証拠資料に照らし、右各証拠は新規性ある証拠ということができる。

(2) 証拠の明白性

そこで右各証拠が明白性を有するか否かについて検討するに、東京高等裁判所の上田勝治に対する証人尋問調書(第一〇二号証)、熊本県警鑑定回答(第三二号証)によれば請求人の主張するように、右熊本県警鑑定回答に要した時間は昭和二四年一月一八日の午前九時頃から午後三時ないし四時頃までの六ないし七時間であることが認められるところ、右船尾鑑定が熊本県警鑑定回答について法医学的に信憑性がかなり低いと結論する理由の要旨は「鉈に付着した米粒大の付着物二個のような微量の被検斑痕の血液型検査のためには血痕予備試験(血痕らしいものをピックアップして検査方針を決める。)、血痕本試験(血痕らしいものだけについて血痕かどうかを確認する。)、人血試験(人間の血痕かどうかを確認する。)、血液型検査(血液型が何型かを検査する。)の各検査を実施することを要し、各検査にはそれぞれ所定の時間を必要とするところ、特に人血試験の浸出液(被検斑痕より水で濡らした濾紙或いは脱脂綿などに付着物質を浸出させる。)を作成するのに最低二四時間、血液型検査として当時一般的に行われていた凝集素吸収法(検体を試験管にとりO型血清を入れ、三七度Cに数時間、氷室に二四時間静置した後、検体を除き、残った液が凝集能力を有するかどうかを検査する。)の吸収操作時間として最低二六ないし二七時間を必要とするのに右熊本県警鑑定回答の作成時間は六ないし七時間であるから右人血試験における検体浸出操作時間、血液型検査における吸収操作時間の短縮が行われたと推測され、したがって人血以外の付着物を人血O型と誤判した可能性もあり、更に不完全な吸収操作のためにO型と誤判した可能性が高い。」というにある。

そこで、検討するに、血痕予備ならびに本試験に要する時間は普通各約一〇分以内に終了するものであるから(船尾鑑定書第一二項の(Ⅰ))その所要時間に照らし本件について右各試験が実施されたとみるのがより合理的であり、人血試験についても同鑑定書自体浸出時間は被検斑痕の性状により短縮したり、延長したりするが、その被検斑痕の性状によって時間の短縮もあり得ることを述べており(同鑑定書第一二項の(Ⅰ)、なお、同鑑定書同項には本件の場合最低二四時間は必要と思われると記載されているが、その根拠は明らかにされていない。)右人血反応として一般に行われる血色素沈降素による沈降反応または人血清沈降反応のいずれも実施方法は検体から浸出液をつくり、これを抗原とし沈降管内で抗血清の上に重ね沈降反応を行い、両液の接触面に白濁輪が認められれば陽性(同鑑定書第四項の(ハ)の(Ⅰ))、すなわち人血と判断するというのであってその判定は積極的な白濁輪反応によるから右反応があれば、人血であり、ひるがえって浸出時間は十分であったことになるのであること、前記上田勝治証人尋問調書から窺える同人が目撃した国家地方警察熊本県本部警察における鑑定の状況に照らしても、本件の場合に、船尾鑑定において浸出時間として必要とされる時間を使用しなかったことを理由に人血試験を省略あるいは不完全に実施したとは言い難いし、なお、船尾鑑定によると、前記のような浸出液を作る間接的な方法のほかに、被検斑痕を直接採取する方法として、例えば木材についた被検斑痕はこれを削り取って検体を採取する方法をあげており、特に血痕検査では右の方法が理想的であるとしているが(同鑑定書第三項)、右の方法によると浸出液を作る時間が省略されるところから、検査時間がかなり短縮されるものというべきところ、請求人の昭和二四年一月一九日付検察官に対する供述調書(第二七号証)によると、請求人は右検察官からの取調べの際に本件鉈を示されたが、その際柄の内側の新しい削りきず(前記のとおり鑑定はその前日である一月一八日になされている。)は自己がつけたものではない旨述べており、右によると、本件鉈に付着していた斑痕については前記のような直接採取がなされた可能性も考えられ、これによると、検査時間が相当短縮されるものというべく、専ら検体の間接的採取を前提とする船尾鑑定によって、熊本県警鑑定回答の証明力を減殺できるか否かは疑わしいものがある。

次に同鑑定のいう血液型検査の吸収操作時間が十分でなく、O型と誤判された可能性があるとの点については右O型の判定にあたっては吸収時間が十分でなければならないことは同鑑定および矢田証言の強調するところであるが、一方同鑑定も吸収操作時間は血痕量の多少およびその陳旧度により異なることを認め(同鑑定書第一二項の(Ⅰ)、なお船尾鑑定によると、吸収操作時間は血痕の状態についてかなりの差があり、現在の方法によっても一時間で十分な場合もあるし、一六ないし一七時間或いは一日要する場合もあり、血痕の状態により検査の手続、ある操作にかける時間などが異なってくるため種々の検査法の所要時間を明言することができないが、少なくとも現在では一ないし二時間から四八時間以内で血液型の判定ができるのであり(同鑑定書第一七項)、現在においてもかなりの時間差があることが窺われる。)、矢田証言もO型の判定にあたっては吸収操作時間の長短のほかに血痕量、その陳旧度、変質度合などにより影響し、被検血痕が冷暗所で保存され、又保存期間が短期間であれば変質の度合も少ないというのであり(矢田証人尋問調書六五、六七、七三、七四問など)、結局被検血痕の量、保存期間などによっては前記吸収操作時間も短縮されることがあることを窺い知ることができる。

これを本件についてみるに、まず被検血痕の量については、矢田証言によれば、当時の血液型判定に必要とされる検体の量は普通の吸収試験では一平方センチメートルの四分の一位が必要でそれ以下は相当の熟練を要するというのであるが(同証言六一問)、本件鉈についていた斑痕の量、付着状況について当審証人馬場止は、「血痕が肉眼で見えるように固まったようにして付いていた、米粒大というか、それ以上に付着していた。」旨証言し(同証人尋問調書八九、九〇問)、同証人多良木利次は、「血痕と思われるのが柄の付け根付近にこびりついているのが肉眼でわかった、米粒の半分位粟粒位ではなかったかと思う。」旨証言しているのであり(同証人尋問調書一七七問、一七九問)、これらを要するに肉眼によって血痕と判別できるものが鉈の柄部にこびりついていたというのであって、その量が四分の一平方センチメートル以下であったとも認定し難く、これに矢田証人の木部に血痕がこびりついている場合にはそのままそれを削り取ると、鑑定が容易である旨の証言(同証人尋問調書六三問)を併せ考えると本件鉈に付着した血痕の量、付着の状況は船尾鑑定がその結論の前提とした検体の量、その付着の状況と同一であるとの断定をし難いものがあるうえ、本件の場合、被検血痕の量、付着の状況に加えて、付着後の経過時間、当時の気象状況、請求人が本件鉈を隠しあるいは保管していた場所および期間等にかんがみれば(なお、矢田証言によると、土中に埋められた場合、水分、バクテリア等により希釈、腐敗その他で変質されると思うとされるが(同調書六七問)、右は気温、期間、土質、土中の深さ等によって差異が生ずるというべきところ、本件当時は冬の厳寒期であり、埋められた期間は約一二日であるうえ(請求人の自白調書(第二五号証))、現場は元飛行場跡で開墾中の畑の一隅であり、そこに深さ五寸位のところに埋められていたというのであるから(右第二五号証、第一審証人上田勝治尋問調書)、右矢田証言で指摘されるほど変質されるべき条件にあったとは思料されない)、被検血痕の保存状況も比較的良好であったと推認され、血液型検査のための吸収操作時間として船尾鑑定において必要とされる時間が必要であったとは直ちに断定し難いものというべきである。

熊本県警鑑定回答が鑑定の結果のみを記載し、その方法の記載がないことは同鑑定回答書の示すとおりであるが(矢田証人は当時(昭和二四年)は用紙不足のため右のような鑑定書になったものという。)、以上説示したことにあわせ、矢田証人も右鑑定書作成者が唾液の血液型は正確にしているとして、その技術を否定せず、同回答の判断について断定を避けていることを考慮すると本件熊本県警鑑定回答は前記船尾鑑定がいうように「その信憑性がかなり少ない。」とまで結論することはできないのであって、未だ熊本県警鑑定回答の証明力を左右することはできず、したがって、この点についての船尾鑑定をはじめとする請求人提出の各証拠はなお確定判決を覆すに足る程の明白性を有しないといわねばならない。

5 本件再審請求理由(五)(兇器)について

(1) 請求人はその提出にかかる東京地方裁判所の樺山彪に対する証人尋問調書(第六七号証)により本件鉈と同一形状の鉈が人吉地方に多数存在したことを立証するというのであるが、右事実は本件鉈の形状よりすでに第一審裁判所の知悉するところというべく右証拠は新規性も疑わしいうえ、明白性をも有しない。

(2) 当審における証人浦川清松は請求人主張のとおり同証人が人吉市警察署で見た鉈の刃先には「とび」といわれる突起部分がなかった旨証言するが、第一審の第四回公判期日における世良完介の証言によると、本件鉈の刃先には右部分があり、請求人が伊藤方に持参し、それが押収されたものであることは明らかであって、同証人の証言は記憶違いというほかなく、また当審における証人福崎良夫は本件鉈および刺身包丁を請求人に示したか否かについて明確には記憶にない旨証言しており、請求人主張のとおりの事実を述べているとは解されない(なお本件鉈は前記のとおり請求人が検察官から取調べを受けた際、示されており(第二七号証参照)、第一審第一回公判期日においては請求人は本件鉈を示され、その柄にある梅の花の焼印は自己の家の焼印であり、自己の物に間違いない旨供述しており、請求人は本件刺身包丁の押収関係が不明というが、本件刺身包丁が白福家から押収されたものであることは司法警察員作成の検証調書(第一審記録二四丁)及び押収目録(同記録四〇丁)により明白である。)ので右各証拠はいずれも明白性を欠くというべきである。

6 本件再審請求理由(六)(アリバイ)について

(1) 請求人が昭和二三年一二月二九日「丸駒」に宿泊したか否か、また同月三〇日に兼田又市方に宿泊していたか否かなどの請求人のアリバイの点についてはすでにこれまでの第三、第四回再審において右アリバイがある旨の事実の主張がなされて証拠の取調べがなされ、実質的判断がなされたうえで再審請求棄却の決定がなされているのであるから、前記のとおり同一の証拠をもって右アリバイの事実を主張することは、刑事訴訟法四四七条二項にいう同一の理由に該当し、その主張は許されないと言うべきところ、請求人提出の兼田ツタ子の司法巡査に対する供述調書はすでに第三回再審において取調べを受けてその実質的判断を経ているところであるから右証拠をもってアリバイの主張をすることは許されない。

(2) また東京地方裁判所の今村こと尾前スエノに対する証人尋問調書写し(第六五号証)について検討するに、右証拠は第一審の中村友治に対する昭和二四年六月二三日付証人尋問調書中の、同証人が、請求人が兼田又市方を訪れてきた日の翌日である昭和二三年一二月三一日に人吉市に行き、帰りに今村方に立ち寄った旨の証言中、右日時に右中村が今村方に立ち寄った点を裏付けるというものであるが、同女の証言は、右中村が同女方に立ち寄ったとする同年末からすでに二二年近くを経た後になされたもので、その証言内容自体が前後矛盾し、不明確であるうえ同女が事実を間違いなく供述したという同女の昭和二四年七月八日付司法巡査に対する供述調書(第三回再審記録三冊の三第一七六丁)の内容と比較検討しても右中村が立ち寄った際の供述内容、その日立ち寄った回数において齟齬しており、右供述調書では年末で月日はわからない旨を供述しながら相当の時日を経過してなされた右東京地方裁判所の証人調べではたまたま右中村が立ち寄った際に述べたとする雑談内容から同年一二月三一日である旨を証言しているのであって不自然というほかはなく、前記中村友治が同日に人吉に出かけたことを裏付ける証拠とはなし得ないというべきであって、右尾前スエノに対する証人尋問調書写し(第六五号証)および右尾前証言を裏付けるとする同裁判所の野田セツ子に対する証人尋問調書写し(第六六号証)は新規性はともかく新証拠としての明白性を有しないというべきである。

(3) 次に請求人は杉山文子(旧姓石村)が請求人のアリバイについて第一審で不利な証言をしたのは、同女を取調べた警察官益田美英が同女の母と知合いであったことからこれを利用し、同女に右のような供述を強要したものであると主張し、当裁判所の益田美英、杉山文子に対する各証人尋問調書をもってこれを立証するというのであるが、右益田美英、杉山文子各証人尋問調書によれば、村上キクエの司法巡査益田美英に対する供述調書(第三回再審記録三冊の三第一二四丁)中に請求人が右村上方を訪れて同女と話をした際に、同女が娘(杉山文子)のことについては益田巡査に話してあるから心配してもらう必要はない旨の記載があるのは、単に、請求人が右村上方を訪れた際に刑事と称し、行動が不審であったので右村上において警戒し、請求人の行動を牽制するためにたまたま新聞等で知っていた同巡査の名前を挙げたにすぎないことが認められ、請求人主張のように右益田巡査と村上キクエとが以前から知合いであった事実を証するとはいえず、その点において証拠としての明白性はない。

(4) また証人杉山文子は「請求人が「丸駒」に来たのは昭和二三年一二月二九日の夜である。供述調書を作成されるときに警察官から日にちを間違えるなと言って怒られた。」旨証言するけれども同証人はすでにこの点に関して第一審において二回にわたって証人として取調べを受けており、この点の供述は新規性がない。

(5) さらに杉山文子は第一審当時の昭和二四年三月二四日の第二回公判期日および同年七月一二日の第五回公判期日にそれぞれ証人として出頭した際、人定質問に対し、それぞれ一九才、二〇才と述べ、また第一審が取調べた同女の検察官に対する同年一月二四日付の供述調書では二〇才と述べているところ、同女の戸籍謄本(第一一四号証)によれば同女は人吉市警察での取調べを受けた同年一月頃は一六才であったことが認められるが(同女の同年一月一六日付司法巡査益田美英に対する供述調書)、右事実から同女が請求人の宿泊日について正確な記憶がないのに警察官の誘導するまま答えたとは認められないから右証拠は新規性はともかく明白性がない。

(6) なお、請求人は当裁判所の検証調書により請求人の自白調書(第二五号証)にある犯行後の足どりが否定され、あるいは徹夜の歩行後「丸駒」登楼の気力の起らないことが証明されたと主張するが、右検証調書によるも右自白調書の信用性が否定されたといえないことは前記3説示のとおりであり、第一審当時においても請求人が徹夜の歩行をした後、右「丸駒」に登楼していたことは判明していたのであるから、この点に関して右検証調書が証拠としての新規性を有するとはいえない。

(三) 結論

以上のとおりであって、請求人が提出した前掲各証拠は刑事訴訟法四三五条六号の「無罪を言い渡すべきことが明らかなあらたな証拠」には該当せず、また同法四四七条二項の趣旨に基づき許容すべからざるものであり、なお、新規性があるとされた証拠を全部総合し、またこれらと他の全証拠を総合勘案してみても、請求人を有罪とした確定判決における事実認定を覆すに足りる蓋然性があるということはできず、明白性の要件を欠くといわなければならない。

よって、本件再審請求はその理由がないので、刑事訴訟法四四七条によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 松村利教 裁判官 神吉正則 牧弘二)

<以下省略>

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